まぬままおま

夏の娘たち~ひめごと~のまぬままおまのネタバレレビュー・内容・結末

夏の娘たち~ひめごと~(2017年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

堀禎一監督作品。

田舎の情事とひめごと。

簡潔に言えばそうなのだが、それだけだと捉えがたい何かがある不思議な作品。

映画は作為にあふれている。
彼らがカメラの前に現れ、行動を起こすことは、物語を構築し、展開させるための必然だ。
実際、姉弟の色恋といった設定や第三者としての義雄の登場は、あまりにも映画的作為にあふれている。

しかし彼らのひめごとは物語上で解決されない。いやそもそも物語化されない。「姉弟は本当に血の繋がった姉弟なのか」。このひめごとは明らかにされることはなく、姉弟の色恋は不意に終わり、彼女が義雄と結婚することになぜか帰着する。しかもその結婚もきっかけかどうか分からない、衝動的な情事から始まることだ。

姉弟だけではない。ほかの登場人物もひめごとを抱えているし、情事は突発的に行われる。だがそれは私たちに物語として解釈させない闇だ。

このように彼らのひめごとが物語化されない時、因果律を棄却した情事が行われる時、彼らは映画世界を生きている以上に、私たちと共に「生きている」。と錯覚する。それは映画の無作為を意図した作為によるのだけれど、確かにそう感じさせるのである。この巧みさに感激である。

また「生きている」と錯覚するのは私たちの普遍的な経験に触れているからでもあるのだろう。
元恋人の結婚を祝福できる感覚、秘密が明かされずそのままになる感覚、他者に好きだったり、嫌いだったりと複合的な感情を抱く感覚。そんな感覚を抱く経験は往々にある。

それが私たち人間であるし、そんな人間性を映画で描く時、「生きている」と錯覚するのかもしれない。

蛇足1
悲哀に満ちた嫁ぐシーンは小津作品を感じる。

蛇足2
堀禎一監督作品をもっとみたかった。追悼。