こーひーシュガー

南部の唄のこーひーシュガーのネタバレレビュー・内容・結末

南部の唄(1946年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

ディズニーランドのアトラクション、スプラッシュ・マウンテンのモチーフになった映画。
公開当時から社会的に問題視されているとのことで見てみた。

映画としてはなかなかおもしろい。
白人の少年が両親とともに祖母の家に行った先で黒人のリーマスおじさんと出会い、彼のお話を通して成長していく、というあらすじ。
リーマスおじさんの話の中にはブレア・ラビットやブレア・フォックスなどのおなじみのキャラが登場する。

さて、この映画の何が問題かというと劇中で奴隷制を美化するような表現が多く含まれているのである。スティーヴ・マックィーン監督作『それでも夜は明ける』(2013)では黒人奴隷たちは白人に人として扱われず、絶望の表情を浮かべながら農園での仕事を黙々とこなしている。同じようなシーンでも黒人俳優の表情はその作品内のものとはまるで違う。それどころか『南部の唄』では黒人奴隷たちは自分たちに与えられた仕事は当然のことであり、白人のために尽くすことが悦びであるといった内容の歌を歌っているのだ。
だが、これはあくまで過去の文化としての奴隷制を記憶媒体として描いたものである。黒人と白人が交流を深めるなんてことは当時なかった。見た人が間違った歴史の認識をしてしまうと全米黒人地位向上協会は非難している。たしかにそれは問題だ。しかしこの映画のテーマは子供の【成長】であり、「映像の世紀」のような歴史番組ではない。それはこの映画を観るものたちも承知の上だろう。【成長】を描くにあたってたまたま設定上の登場人物の人種が違っただけだと考えれば何もおかしなことはないのである。
というか実写版『リトル・マーメイド』や『ピノキオ』で白人キャラを黒人に改変することも「間違った認識」とやらを招くのではないか。

映画とは時代の証言者である。『南部の唄』はフィクションであり、黒人が奴隷として扱われていた時代があったということを証言している。それを観て、黒人全員が奴隷であることを誇りに思っていたに違いない!と思う人はいないのではないだろうか。
要するに間違った歴史の認識を危惧すること自体、杞憂である。