青空息子

映画ドラえもん のび太の宝島の青空息子のネタバレレビュー・内容・結末

2.0

このレビューはネタバレを含みます

藤子先生が生前ぺんぺん草も生えないほど色んな冒険をさせて来た映画ドラえもんですから、現在ドラえもんを作ることを課せられたスタッフの苦悩は分かります。
でも、自分らがなぜドラえもんに夢中になって来たのか、その仕掛けをもう少し理解しようとしても良いのではないだろうか?

序盤の「のび太の恐竜」や「のび太の大魔境」を彷彿とさせる展開には近年になくワクワクさせられました。
しかし、藤子氏逝去後のドラえもんの致命的な点として私が従来から感じているのは、いわゆる日常ゾーンから冒険ゾーンへの移り変わるタイミングの早さである。
従来はのび太が冒険へのきっかけを掴み、ドラえもんと共に冒険へと発展させ、非日常の世界を堪能する言わば「起」と「承」に当たる部分が1時間近くかけて丁寧に描かれていた。
それが最近はその件を序盤でささっと片付けて冒険部分にばかり重きを置くようになった。特に去年は酷かった。これでは中盤飽きます、中だるみします、なぜそれが分からないのでしょうか?
そして、宝島に着いてみたら実はそれが潜水艦だったというガッカリ感。どこが「のび太の宝島」ですか? 看板に偽りありですよ。そして太平洋上に島の体で現れた理由の説明もないまま物語は進む。
驚くべきはフロックやシルバーらが未来から来たという説明がないがしろにされてること、ノアの方舟計画の説明もドラえもん不在で行われてること、地球からエネルギーを取ると何が起こるのかも一切説明がないことである。
未来から人が来るのは今のドラえもんでは常識なのですか? ドラえもんが未来人が企ててる陰謀に気づき、驚く描写があるからこそ観客も物語にのめり込むんじゃないんですか?
地球のコア部分からエネルギー取られて何が起こるのかわからんから危機感もないし。
今回もドラえもんが壊れる?(気を失う?)描写があるが、今のドラえもんで「雲の王国」や「ブリキの迷宮」のようなトラウマを観客に与えることは不可能だろう。
大山ドラから水田ドラに変わった時にドラえもんのキャラが物知りで頼れるロボットから便利な道具を出すただの居候に変わってしまったことは劇場版を続けて行く上で大きな弊害になっていると感じられる。
今回は呼びかけただけであっさり直るし、意味がわからん。

そして宝島は他の星にも行かず、未来にも帰らず現代の空に浮いたまま?
家族が元に戻るラストもそれはそれで悪くはなかったが、映画ドラえもんのラストは別れの涙がよく似合う。それこそがゲストキャラへの最大の敬意だ。
オープニングテーマなしも斬新だったが、「出発進行〜!」でドラえもんの歌が流れたら気持ちよかっただろうなぁ。
一度でいいから映画ドラえもんの脚本、演出をやらせてくれないかなぁ?
水田ドラ史上(リメイク除く)最高傑作を作れそうな気がするのだが。
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