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ミスター・ノーバディのきのぴのレビュー・感想・評価

ミスター・ノーバディ(2009年製作の映画)
4.3
観終わって感じる、とんでもない映画を観てしまった感。深く考えれば考えるほど鳥肌が立ってくる。こんなに考察し甲斐のある映画は随分久しぶりな気がして、張り切ってすっごく長いレビューを書いてしまいました。ご容赦ください。
まずは本作を真正面から捉えた感想。この映画は、ひとつの人生の可能性をパラレルワールド的に表現することで、いま生きている人生の尊さを教えてくれている気がする。線路のシーンが象徴するように、人生は選択の連続で、その後の人生を大きく変える分岐点がいくつもある。こっちを選んだ人生とあっちを選んだ人生では、ニモの生活の様子がガラリと変化していき、そんな風にパラレルワールドを行ったり来たりするうちに、それぞれの人生にかけがえのないものがあることを知る。結ばれるパートナーや子ども、収入なんかも全然違うけど、どの人生が一番幸せかなんて分からない。人生を大きく左右する選択の瞬間があっても、その選択に正解・不正解はないのだと気づく。自分が選んだ人生を大切にしようと思える、不思議で素敵な映画だった。
だけど絶対それだけじゃない。もっと実験的な要素を強く感じる。ジャレッド・レトによる時間や宇宙に関する講義とか、火星旅行のシーンには必ず意図があるんじゃないかと。(そもそもThirty Seconds to Marsのボーカルであるジャレッド・レトが火星旅行をしている時点で何かしらの意図がありそうだけど。)また、人類が不死を手にした世界で、なぜニモだけが死を迎えようとしているのか、そこにも明確な答えはなかった。顔タトゥー男の存在も含めて、「人生は選択の連続である」というテーマだけでは説明のつかない謎が色々と残る。
そこで、この映画のもう一つの試みを勝手に解釈してみると、多分、時間軸の自由移動が可能な四次元世界の生き方を、あくまで因果論的に、表現しようとしてるのではないかという結論に至った。パラレルワールド的な描き方で人生の可能性を表現している一方で、むしろその逆に、四次元世界が成立するのに必要な条件を揃えることで、パラレルワールドの在り方をシミュレートしているような気がしてならない。
「2092年の時間大収縮まで生き延びた人々は、時間から解放される。」火星でのアンナの発言を裏付けるように、時間が逆転するラストシーン。そこから推察するに、ニモが息を引き取るその瞬間に、宇宙では時間大収縮が起き、人類は時間からの解放(時間軸の自由移動)に至ったのではないかと考えられる。四次元世界での生き方を手にしたと言ってもいいかもしれない。
そう仮定すると、例えば本作を『バタフライエフェクト』や『エブエブ』と比較するよりも、ドゥニ監督の『メッセージ』(テッド・チャン著『あなたの人生の物語』)と対比させた方がよく理解できる気がする。つまり、『メッセージ』が「時間からの解放」を運命論的に描いたものだとすれば、本作は同じものを因果論的に描いていると捉えることができる、そんな感じがする。
『メッセージ』では、ヘプタポッドの思考法を学ぶことで、主人公のルイーズは(少なくとも思考上では)時間の流れから解放され、時間軸を自由に移動できるようになった。ルイーズにとって、過去と現在と未来は等しく目の前に存在していた。一見すると、未来の出来事を全て知った上で生きているように見えるけど、厳密には少し違う。あくまで運命論的な四次元世界であるため、過去と現在と未来には連関こそあるものの、それらは原因と結果で結べるものではないと考えるべきだろう。
一方の本作では、「時間大収縮」を契機に、因果論的な四次元世界が展開されると推測できる。そして、三次元世界と四次元世界の狭間に偶然迷い込んだのが主人公のニモなのではないかと思う。時間大収縮の後に死を迎える人間は、無限の可能性が広がる四次元的な人生を、時間の一方的な流れに囚われず生きることが出来るため、感覚的には不死を手にしたと言っていいのだと思う。故に、時間大収縮の直前に息を引き取るニモは、最後の死を迎える人類になる、はずだった。
しかしながら、ニモはまさにその瞬間に息を引き取ってしまった。三次元から四次元へと移行する、次元の狭間に迷い込んだのだと思う。そのため、三次元的な人生を送ってきたニモが過去を思い返そうとすると、なぜか記憶の齟齬が起きる。色んな人生が脳裏をよぎって、自己倒錯に陥ってしまう。題名の『ミスター・ノーバディ』は、きっとここに由来しているのだろうと思う。
そんなニモにヒントを与える謎の顔タトゥー男は、時空を司る神様的な存在なのかもしれないし、三次元的にも四次元的にも生きられる超人間なのかもしれない。何者であるにせよ、ニモが新しい生き方を手にするのを助けているように見えた。その結果、最期の瞬間に四次元的な人生がスタートし、時間が逆再生するかのような描写でニモが新しい人生に足を踏み入れていくところで映画は終わる。
一度観ただけだとまだまだ多くの謎が残るし、果たしてこの考察がどれほど合っているのかはよく分からないけれど、とりあえず文系の自分にうっすら理解できたのはこれくらい。そこそこ良い線いってるんじゃないかとは思うけど、全貌は到底理解できていない気がする。頭が良い理系の人の考察をぜひ聞いてみたいところ。
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