ドリトルはDolittle(ものぐさ、遊び人)のこと。井伏鱒二が「ドリトル」と訳して以来、日本では原義のほうは薄れた感あり。
第1作『ドリトル先生アフリカゆき』は、作者ロフティングが第一次世界大戦に従軍した際に見聞したことを子どもたちに書き送り、その手紙をベースに作られた物語。以来シリーズ化され、世界中の子どもたちに愛される児童文学となりました。
しかし1970年代に入って作中の黒人描写が差別的であると非難されるようになり、現在、注釈付きの原版と修正版の二つが発行されるに至っています。
かように時代に翻弄された原作を持つ本作ですから、当然というべきか、かろうじて原作の面影を残すといった、まったく新しいお話としてリメイクされています。なにせドリトル先生が、『アイアンマン』でお馴染みのロバート・ダウニー・Jr.ですからね。Dolittle どころではございません。
子ども向けですからお色気とは無縁、ギャグはちょっとシモ寄りで、かなりおサムい場面も。アメリカ人のギャグはわからん、とはいうなかれ、当地の批評家もこの点は酷評しております。
しかし『パイレーツオブカリビアン』が熱狂的に受け入れられたように、海原をゆく帆船とフリゲート艦、と聞くだけで胸躍る人は躍るでしょう。座頭鯨に帆船を引かせるなんて、なかなかいいアイデアなんですけど、こうした冒険的要素を今作は果たして活かしきれたかどうか。
鯨に限らず、個々の動物の特性の活かし方がまだまだ弱い(頑張ってはいるのですが)。プロットに陰謀を絡めるに至っては、明らかに安易です。愛する人を失った喪失感を胸に、人間界と隔絶して暮らすドリトル先生。この人の心を開くことが主たるプロットになるべきでした。
ドリトル先生と同じく「動物語」を操ることのできた不在の妻の存在をいかに現在に取り戻すのか。そういう切実さがあってのコメディであれば、号泣したかもしれません。