ミキティブラブレ

劇場版 フリクリ オルタナのミキティブラブレのネタバレレビュー・内容・結末

劇場版 フリクリ オルタナ(2018年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

試写会などで、先に後編の『プログレ』を観賞し、そのあまりの「フリクリもどき」な出来栄えにガッカリしていたので、大分ハードルを下げて本作を観賞。

結論から言うと、OVA版を鶴巻監督のプライベートフィルムと捉えるなら、これは上村監督のプライベートフィルムとしては素晴らしい作品だったと思います。

Twitterや、本サイトも含めたレビューサイト各所などでは否定的な意見が飛び交っていますが、そもそもOVA版を超える作品を作るのは、当時のGAINAXが存在しない今、作品のクオリティ・古参ファンの想いの強さなどから、土台無理な話な訳で、OVA版におけるボーイミーツガール路線から、仲良し女子高生の青春モノへと勝負の場をシフトチェンジされたのは、上手い判断だったと思います。

各々フリクリに求めるものは違って、それはアクションだったり、作画だったり、pillowsの音楽だったりと様々ですが、中でも最も重要な登場人物の心情の掘り下げは、本作でもとても丁寧に描かれており、プログレのレビューにも書かせていただきましたが、フリクリの感想で良くある「訳わかんないけど面白い」というのは、こういった部分を丁寧に描いた上で、その他の細かい設定をファンが考察出来る余地として曖昧に描いた上で初めて成り立つもので、アクションやpillowsの楽曲がふんだんに使われながらも、そこをおざなりにして登場人物を記号的なアニメキャラとして描いていたプログレに比べれば、むしろよっぽどオルタナの方がフリクリらしいと言えるでしょう。

前作で全編に渡って、特にアクションとの親和性の高かったpillowsの楽曲ですが、本作では登場人物の心情描写との親和性が高く、特に最終話の「Fool on the planet」、そして監督こだわりの「Thank you my twilight」は、OVA版一話の「Blan- new lovesong」や最終話の「Last dinosaur」「I think I can」に匹敵するぐらいの効果的な使われ方でした。
プログレを観賞した際は「pillowsの曲使えばなんでもフリクリっぽくなってズルいよな(笑)」と感じましたが、こちらは使い所を絞られている分、その使い方はとても良く練られていました。
ただ、これはオルタナ・プログレに共通する点ですが、OVA版では曲とセリフの両方が聞き取れるという、ちょうどいい音響バランスだったのが、本作では若干、楽曲の方がセリフにかき消されるぐらいのバランスで、その点少し残念でした。

ただ、登場人物の会話や台詞は、OVA版のような含みを持たせた台詞だったり、たった数行の会話で観客の意識を集中させるような、そんなセンスには劣るものの、新谷さんらの監修もあった為か、ハル子のセリフ含めて丁寧に練られており、カナ達含めた17歳の等身大のストレートに胸に刺さる台詞や会話の数々は、上村版フリクリの新たな切り口であり、前作であった「ここでは無いどこかへ」から「このままここでずっと」と、主人公らの思いが前作と本作で相対の位置にあるのも、上村版フリクリの特徴でしょう。
プログレにあった薄ら寒いセリフや、見ているこっちが恥ずかしくなるようなシーン(具体例としては、石ころマシンガンを含めた、その後何にも活かされない取ってつけたような強制労働のシーンなど)も、無いため、とても良かったです。

アクションは、前作に比べれば描写は少なく、OVA版のキレとテンポ・センスには敵いませんが、それを必死になぞろうとして失敗していたプログレに比べればまだ本作の方がセンスが感じられます。

主人公の女子高生4人は、男子が求める理想的な女子高生になりきらず、等身大のリアルな描かれ方がされていてとても良かったです。
とりわけ、その理想的な女子として描かれがちなヒジリーも、実は大人な女性を無理して背伸びして演じていただけで、カナ・ペッツ・モッさんらも含め、子供がそれぞれが何かしらの思いを一人きりで胸に抱え込み、無理をして背伸びをして、それに気づいて吹っ切れるという描写は、前作のナオ太やニナモリに通じるものがあります。

そして何よりも、新谷さんのハル子は素晴らしかったです。プログレの林原さんも素晴らしかったですが、やはり見知った顔が別の声で喋る違和感は拭えず、やはりハル子は新谷さんで無いと、と(笑)
また、新谷さん演じる本作のハル子は、ただ懐かしさを感じさせるだけでなく、前作におけるナオ太に対する、大人の女性が子供をからかう・手の平の上で転がすような接し方から、本作の主人公である女子高生達への、同性の相手に対する駆け引きや共感を交えたアプローチの仕方へと、その演技の方向性をシフトチェンジしており、紛れもなくハル子でありながら、とても新鮮に感じる事が出来ました。

そして、本作で象徴的に登場する火星は、OVA版で没になったナオ太達が住んでいるのは実は火星という設定に対するオマージュであったり、本作でハル子がトレードマークであるベスパを入手する経緯が描かれたり、ハル子がMMの量産型ロボ=カンチをカンチとして認識していなかった点など、本作はOVA版の前日譚、もっと具体的に言えば、本作にはアトムスクの存在が一切無かった事から、ハル子がアトムスクと出会う前の物語とも捉える事が出来ます。

残念だったのは、最終話でのペッツの扱いで、肝心の思いを伝えるべきペッツが置いてけぼりのまま、一方通行で思いの丈を叫び、ペッツのいない世界へと移行してしまった点だけ、少し心残りでした。
ペッツがあのMMのメカに取り込まれてしまったまま、助け出す事が出来ずにあの世界へと移行したなら納得出来ましたが、ペッツは政府要人用のスペースシャトルで火星へと無事に飛び立った為、ペッツが無事なまま、カナ達はペッツのいない世界(これも火星?)へとたどり着きます。この世界でペッツの名残はあの髪留めだけです。
ただ、この点に関しては個人の好みの問題なので、この作品の面白さ・フリクリらしさを損なう部分では無いでしょう。

何よりもこの作品をフリクリたらしめるのは、観賞後に胸に去来した、このどこか寂しくなるセンチメンタルな感覚。
これはまさしくフリクリでした。

本作が肌に合わなかった方は、後編であるプログレを観賞後に、もう一度本作を観ていただきたいです。それでも本作が肌に合わなければ、僕らの大好きなOVA版をシコシコ繰り返し観ていましょう(笑)

結論・鶴巻版フリクリではないけど、上村版フリクリとしては最高。

皆様におススメしたい一本です。