たなぴょん

さよならの朝に約束の花をかざろうのたなぴょんのネタバレレビュー・内容・結末

4.8

このレビューはネタバレを含みます

さよ朝について、まとめました。


【タイトルについて】
さよならの朝に約束の花を飾ろう
ですが、解釈が人それぞれで、約束の花なんか出てきてないじゃないかなんて、話もよく聞きます。

自分の意見はこうです!

さよならの朝に
→エリアルの最後の日に

約束の花を飾ろう
→約束の
→→泣かないこと
→花を飾ろう
→→死者を送る言葉

エリアルの最後の日に、笑顔で送り出そう

という、マキアの決意をタイトルに込めていると考えます。

とすると、テーマは
「マキアがエリアルを愛し、笑顔で別れることができるか」
つまり、「必ず来る大切な人の死の受け止め方」になるかと思います。

年齢立場は違えど、死にゆく友人や家族を笑顔で送り出すということの難しさをマキアは教えてくれました。

彼女は、エリアルの人生全てをずっと見ていました。
それは普通の母親にはできない、親の最大の願いともいえます。

子どもの人生を最後まで見届けたかった・・・。
孫の姿が見たかった・・・。

最後にそう言って、死んでいくシーンはよく見ますが、マキアはそれを体現した、夢を現実にした親です。(親の理想を叶える話だったんだと書きながら気付きました!)

子どもの人生を最後まで見たら、
孫の顔を見たら、満足してお別れができるのか?

いいえ!できません!別れは悲しいですよ!
孫の顔を見たって、息子の人生を全て見たって、死ぬときは辛いんですよ!
と、さよ朝は言っていると思いました。

別れ方についても、100点でした。
健気です。エリアルもマキアも幼少期に交わした約束を守りあうところが素晴らしいです。

「泣かない人のことをお母さんというんだ」
「わかった、私もう泣かないね」

小さな約束で破っても何の罰則もない
制約もない、絆を守るためにしかないような約束を守りきるからこそ、マキアの母親としての愛が強く引き立たされています。

僕も、息子ができたら、なんか約束しようと思いました。こういう特別な別れの日に誠実さを示せるものって、とってもいいなと思いました。
示し合わせた決め台詞や、お約束は心に響きます。

【別れについて】

映画にはいくつかのキーワードが出てきますが、まず最初に出てくるキーワードは
「外の世界に出たら、人を愛してはならない。愛すれば、本当のひとりぼっちになってしまう」
でした。

マキアの種族は長命であり、人間と同じ歩幅で生きていくのは難しい。
必ず、別れの日がやって来てしまいます。
だから、愛してはならない。
極端な話ではありますが、

死ぬのが悲しいからペット飼わない
みたいな事かと
自分の中では合点が行きました。

レイリアが上記の例におもわれます。
レイリアの娘メドメルはイオルフの性質を引き継ぐことも無く、レイリアより先に死んでしまうと姿を見てわかったレイリアは、マキアの別れとは正反対の別れをします。

「私のヒビオルにあなたの名前は書かない!だから、あなたも私を忘れて生きて!」

と言って、龍の背に乗り旅立ちました。

生きてと言っているのがレイリアの複雑な気持ちを物語っているなぁと、とても好きな言い回しでした。

もし、彼女がイオルフの血を引き継いでいれば、レイリアは手を引いて、一緒に飛んだのかもしれない。そう思うと胸が痛いです。

その可能性は、マキアがピンチになるたびに現れる、イオルフと人間のハーフの男、バロウによって証明されています。
彼はエリアルの別れの日にも、若い姿のままいた事から、イオルフの血を濃く受け継いだと考えられます。

レイリアとマキアの違いは、
実の子どもであるかそうではないかと、
長く共に過ごしたかどうか、
この2点でした。

マキアは
長くエリアルと共に過ごすことで、
深くエリアルを愛していきます。

レイリアはマキアとは対照的に
実の子ではありますが、一緒に過ごした時間はごくわずかなものでありました。

娘が存在しているかどうかも確認できない環境で部屋に閉じ込められ、化け物扱いされる日々は彼女の頭を、孤独で塗りつぶしてしまいます。

マキアは、青年となったエリアルと離れ離れになり、部屋の中に隔離される(レイリアと同じような状況になる)シーンがありましたが、それでも、レイリアのように孤独に支配されることはありませんでした。
戦争の終わりのシーンでマキアは、灰の降る水辺でエリアルに膝枕をしながら語っています。

「エリアルと過ごした時間が想い出が私を思い出させてくれた」

実の母であり、子どもを育てられなかったレイリア
義理の母であり、子どもを育てたマキア

このように、レイリアは
マキアの対照的な存在として、描かれています。

実の母が生き別れの子どもと出会い、抱きしめ涙するような作品はよく見ますし、それも母親の愛を伝える形として、素晴らしいと思います。
実際そうであってほしいところです。

しかし、長老の言う誰も愛してはならない理由を肌を持って体感したレイリアはメドメルと向き合わない決意をしました。

メドメルはイオルフの血を引かず、一緒にいても、必ず別れの日が来る。

その事を理解し、メドメルとの別れを目の当たりにしなくてはならい現実に恐怖したレイリアは、人間と暮らしていた日々から飛び立ち、竜に乗ってイオルフとして新たな人生を生きていく決意をしました。

ここからは憶測になりますが、レイリアは、エリアルの最期の日にバロウの馬車に乗っていませんでした。
バロウは「新しい別れに出会いに行こう」と言っていたことから、人間と出会う旅にマキアと共に出たと思われます。
これにレイリアは参加しなかったと考えられます。

クリムとメドメルという2人の別れを経験し、悲劇的な結末を迎え、別れの辛さを体験した彼女は、人間との関わりを絶つことを決めたからだと考えます。

マキアの別れは、とても暖かいものでした。
笑顔で、頑張ったねと、最後まで生きたエリアルの手を握ります。
走馬灯のようにエリアルとの思い出を思い返すシーンはとても感動的で、心が震えます。

エリアルの最期の朝に決意を実行に移し、笑顔で優しく語りかけるマキアに、お母さんと言ったエリアル。
泣かない人の事をお母さんと言うんだ!
という幼少期の約束を守り、エリアルもマキアをお母さんと呼び返します。

お互い約束を守り、旅立った後
マキアは

「ごめん、約束守れそうみない」

子どものように大声で泣きます。

バロウは
「きっと長老も喜んでるだろうよ、悲しいだけじゃない別れを教えてくれて」

と、マキアに言いました。

この事から、マキアの出会いが悲しいだけのものではなく、暖かいものでもあったといえます。

【母親としての究極の形】
マキアに最期を見送られたエリアルはかなり幸せだったと思います。
エリアルは、少年時代に一緒に暮らしていた犬の死を体験しています。
この時、エリアルは
「いつかみんなこうなるの?お母さんも?」
と、悲しみを覚えていました。
(もっと泣きじゃくったのは、マキアです。この日がエリアルに来ることがわかってしまったので)

このシーンはとても共感を呼んだと思います。
誰にも1度はある人生の節目、死の理解です。
もちろん順番通り行けば、母親の方が先に死んでしまいますし、親の死を見送るのが子どもの1つの役目と言っても過言ではありません。
しかし、マキアは長命であるがゆえ、姿も変わらず母親でい続けます。最期も笑顔で送ってくれる、母親として、生き続ける特別な存在です。

希に見るこのシュチュエーションでは
人生の終わりまで愛し続けることで、普段は見れない母親の愛を伝えることができます。

不治の病にかかった少年少女の物語もこれに当たりますが、残り少ない命を生きる姿に胸を撃たれる人もいるかと思います。これでは視点がブレてしまい、母親の愛の印象が薄れてしまいます。
しかし、エリアルは病弱でもなく、家庭を持ち、子どももすくすくと育っているため、人生を全うしたと思われます。

ペットを愛するストーリーでも、生まれから終わりまでを表現できますが、ペットよりも人間にした方が訴求力が高いのは、目線がより近くなるからだと思われます。

上記二つの、ストーリーのいい所を合わせたのがさよ朝です。
新しい感動の形を作っていると思います。

【惜しい点】

多すぎる、設定と複雑すぎる世界観

1度見て、作品の素晴らしさを100%持ち帰ることができた人はめちゃくちゃ少ないと思います。
僕自身2回見に行っていますが、おそらく監督の伝えたいことの70%も伝わっておらず、残りは解釈のズレやそもそも気づいてないみたいなことがあると思います。

戦争、龍という種族、幻想の花、約束の花束というタイトルの意味、別れを告げて飛び立つレイリア、イオルフの特性、ヒビオルという特有の文化、過ぎゆく時間の違い、母親としての成長、思春期の葛藤、異性としての感情の芽生え、涙で光る花、エリアルの結婚、クリムの悲劇。
2時間で収まる内容ではありません!
上下2編にしてほしい・・・・。

特にわかりづらい部分を僕なりの解釈で、まとめたいと思います。

龍という種族と、幻想の花
アカメ病で次々死んでいく龍、
最後に残された1頭は言葉通り最後の1頭だと思われます。(あの表現なら多分・・・)
作中、龍とイオルフの関係性について言及したシーンが2つありました。
王宮で王子がレイリアに興味を失い、別のイオルフを探してこい!と王様がいうシーンです。(くそですね)
「こんなにギラギラと着飾りたてなければ、抱く気も起きないなら、私なんてほうり出してしまえばいいじゃない!」
の、後です。
「イオルフも、龍や青い幻想の花と同じ、いつか消えて無くなる儚い存在」
みたいなことを言っていました。

もう一つは、レイリアが龍で飛び立つ時、王国の騎士もこのように言っています。

「龍もイオルフも、古き生き物は消えゆく存在。なら最後は思うがままに・・・」
(思うがままに・・・じゃないでしょ!お前だってその伝説を殺したくせに!)

ここでは龍が人に見える古代の生き物(生きる伝説)、こちらは憶測ですが、幻想の花(冒頭、涙で光ったあの花。ちなみにそれ以降は出ていない)が、イオルフにしか観測できない生きる伝説です。

これは、イオルフの揶揄と考えられます。

龍のように数が減り、青い幻想の花のように誰にも観測されなくなるという揶揄です。

イオルフは次第に、龍や、幻想の花と同じ末路を迎える悲しい生き物であると伝えるための設定で、ほのかにでも、感じとれたらなという思いを感じます。
とはいえ、ヒント少なすぎると思います。

【クリムについて】

イオルフを多面的に書く上で、クリムは必要な存在でした。

血の繋がりを持ち、人間を受け入れた、バロウ
血の繋がりを持ち、人間を受け入れなかった、レイリア
血の繋がりを持たず、人間を受け入れた、マキア

そして、

血の繋がりを持たず、人間を受け入れなかったのが、クリムです。

この4人の中で結果的に一番孤独で、一番悲劇的な物語を歩んだのは彼のようにも思えます。

彼はイオルフとしてはとても、真っ当で真面目な存在だったと思います。
長老の言いつけを守り、人と関わる事を拒みました。

マキアがエリアルに、お母さんと呼ばせている事を注意したり、節々にイオルフとしての正しい行いをすると言う、強い意思を感じます。

それゆえに、人間との子供を持った、マキアやレイリアの気持ちを理解できず、同じ歩幅に合わせようとせず、合わさせようとするのが、彼の傲慢で悲しい部分だったと思います。

最後は、イオルフとしてのレイリアをこれ以上汚さないためにも、心中を図りますが、もし、レイリアがその後、メドメルと決別する事を知っていたら、彼は死ななかったのでしょうか・・・。

正しさを求める強い心は、他人に強要するものではないなぁという、教訓を感じました。
しかし、こちらもここまで読み取るにはヒントが少なすぎると思いました。
もういっそ、人間をすべて滅ぼす悪の元凶とまで言ってしまえば、こいつは正反対だなと一瞬で理解できるんですが、掘り下げてやっと気付くこの感じが惜しいです。

人間を受け入れなかった2人が悲しい結末を迎えたように思いますが、
一番最後のクレジットの後に、イオルフの民が楽しそうに暮らしているシーンがあったので、レイリアはそこで楽しく暮らしてるかもしれません。暮らしていて欲しい。
たなぴょん

たなぴょん