内田吐夢監督の「宮本武蔵」シリーズは和製「ランボー」といった具合だが、本作は「マイティ・ソー」と言ったところ。
木の上に吊るされる武蔵(三船敏郎)と「バトルロイヤル」の冒頭で吊るされたクリス・ヘムズワースの姿のそっくりなこと。
そもそもが三船敏郎という圧倒的なスター性。恵まれた「二枚目」としての容姿と、粗暴を絵に描いたような傍若無人さの中に溢れる「愛嬌の塊」という感じがそもそも日本映画の枠から大きくはみ出している。
稲垣浩監督は、黒澤明とはまた違う形で、より繊細な「愛くるしさ」と、終盤に見せる「精悍さ」の両端を引き出してみせる。
そこにコウモリのような落ち着きのなさと不穏さを湛えた三國蓮太郎が演じる又八というキャスティングが絶妙であるし「ムラ社会」という日本社会に縛り付けられ、最終的にはそこを自らの意思で突破していく女性像をこの時代から描き、それを体現している「ヒロイン」であるお通(八千草薫)のシンボリックな存在感も冴えている。
本作は三部作の一作目、宮本武蔵登場編となるので、作劇は地味めなぶん、武蔵とお通のロマンスが映画を際立たせる。
内田吐夢監督のバージョンと比較すると、作劇のタッチが陽性で、陰惨な部分はあれど「青春映画」としての独特なタッチが成功している。
ラストカットの、橋に彫られた「ゆるしてたもれ」という筆跡の柔らかさは、粗暴で殺気に満ちる武蔵の振る舞いとは真逆の繊細で可愛らしい字体によって見事に映画的ショットとして印象付けられる。
日本映画にとって最も豊かな時代の王道で、且つ繊細な美しい映画の一本。