しゅん

スリー・ビルボードのしゅんのレビュー・感想・評価

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
3.5
ほぼ前情報なしで行って観てる間「演劇っぽいな〜」と思ってたら監督は著名な劇作家なんですね。演劇好きなのに全く知らなかったことを恥じる。

ところで、こんなに気持ちよく観れる映画を僕は他に知らない。二時間の間、ほんとに心地よくて時間が過ぎる苦痛が一切なかった。癒されたと言ってもいい。ストーリーとセリフ、悲しみと笑い、キスと暴力、その全てがつまっているこういう映画こそ「エンタメ」と呼ばれるのにふさわしいのではないか。この映画が今の社会問題を扱っているというのは間違いではないが、それが社会の暗部を抉る作品を意味するとは必ずしも限らない。近接した素材を扱っている『マンチェスターバイザシー』や『セールスマン』のような映画ができれば二回は観たくないと思わせるような重苦しさを感じさせるのに対し(実際に二回観れば楽しめるだろうけど勇気がいる)、『スリービルボード』には何度でも観たいと躊躇なく思える軽快さがある。それはこの映画が「箱庭」の映画だからだ。舞台となる架空の街は住民全員が顔見知りで、プライバシーも筒抜けの小さな世界。「街」というよりは「村」といった方がしっくりくるような、安定したコミュニティによって平穏が守られている場所。反面、集団的無意識が権力を持っていて、レイシズムやホモフォビアが平然と蔓延り、マイノリティは容赦なく迫害される。だが、どんなに醜い姿が描かれていても、それは人工的な人形劇の中での話。観客は安全圏から見事に作り込まれた芝居を楽しむことができる。「演劇」を感じるのは、精巧に作り込まれた構築性によるもので、演劇とは違って目の前で実演されない分だけ「箱庭」は強固になる。結末が曖昧な状態で残るのは、余韻を感じさせるためではない。街を出てしまったら、「箱庭」のままではいられなくなるからだ。この映画は、舞台が外との繋がりを失った陸の孤島であることで初めて成り立つ、外部からの「汚れ」に弱い、繊細で傷つきやすい「純潔」さを有している。

そして、心地よい「箱庭」を作り出すことによって、この映画は「社会」を描くことに成功している。アメリカという大きな国が、実際のところ過保護で汚れ知らずの小さな「箱庭」の集合体でしかないことを教えてくれるからだ。レイプもレイシズムも、純潔さを傷つけないために保持されてしまう。『スリービルボード』によって表象されるのは、アメリカの知られざるか弱さなのだ。
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