こんな、割切れるような事が1つも出てこない作品には似つかわしくない単純さかもしれないけど
「面白い!」
というのが、まず最初に出てきた率直な感想。
3枚の広告看板。
3人の人間達。
3回目を観に行きそうな自分…。
ミズーリ州のエビングという架空の田舎町を舞台に3枚の広告看板が巻き起こす人間ドラマ、いったいどこへ向かうのか予測できない物語の最後に辿り着いた時には、人が抱くあらゆる感情を拾い上げていた。
映画のタイトル通り、3枚のビルボード(広告看板)という象徴を軸にして話が回っていく。
目に見える表の印象とその裏側にあるもの、面白いのは実はその当の本人自身も裏側が見えてなかったりする。
正義の怒りに燃えながら、“自分”を救いたかった人。
怒りにまかせては暴力を振う無知な愚か者でありながら、怒る時は決まって“他者の為”だった人。
そして、その2つの看板の“裏側”が見える位置に立っている3つ目の看板。だからこその…
今思い出してもグッと来てしまう。
ミルドレッドが看板の下に置いた鉢植えの中は、初めは真っ赤な怒りの花だけで埋め尽くされていたが、やがて様々な色の花が混ざることによって赤い花は目立たなくなりカラフルな鉢植えへと同化する。
そう、無くなるのではなく目立たなくなるだけ、赤い花はある、だけど無くす必要もない、徐々に違う色の花で埋めていけば、怒りとはそういうものかもしれない。
“物語の力”つまり圧倒的なフィクションであるということ。
確かにこの世界を、ミズーリの田舎の現実を生きている、そう思わせるリアルな登場人物達に、リアルな描写。
じゃあこの映画はそういう作品かと言われると私にはちょっと違って、いわゆる良く出来た脚本の全て揃ったピースがあまりにも上手くハマっていくことで逆に生まれる圧倒的なフィクションその中で糞リアルが踊っている、このアンビバレントさが私には凄い魅力でありその両方を繋いでいるのは間違いなくブラックユーモアだと思います。
冒頭書いたように、こんな割切れるような事が1つも出てこない作品なのに、観終わってまず「面白い!」と言える。
それはやはり、非常に面倒臭くて愛おしくもある人間の“業”というものをしっかり大人の“エンターテイメントショー”として昇華させた映画だからだと思います。
ちなみに、多分1番好きなシーンは、シリアル頭のルーカス・ヘッジズのとこです。