Shelby

スリー・ビルボードのShelbyのレビュー・感想・評価

スリー・ビルボード(2017年製作の映画)
4.7
憎しみが憎しみを。怒りが怒りを。
どこまで行っても終わらない負の連鎖。

スリービルボードはまさにそんな作品。けれども、この作品。ただのクライムサスペンスにあらず。娘を殺された母親が警察に喧嘩を売る物語の大枠は中盤まで。そこから波紋のように広がりを見せる群像劇。まさに、ここからがこの作品の肝になってくる。
なんとなく、あらすじやパッと見の印象から重苦しい雰囲気がひしひしと伝わって見るのを躊躇っていたのだが。なぜもっと早く手に取っておかなかったのか。

鑑賞し終わって複雑な気持ちに陥る。
娘を思う母の愛。崩壊に向かう家族。生き返らぬ者へのやり場のない気持ち。行き詰まる捜査への怒り。その全てが向かう先には、復讐しか残っていなかった。
常人には理解し難い、屈折した愛情だと思う。けれど、どんなに凄惨な事件で報道されようとも、やはり他人事として片付けられていく日常。
世間の無関心さこそが、ミルドレッドの怒りの根源であるように捉えられた。

アンチヴァイラルでいかにも虚弱体質な役を演じていた愛するケイレブランドリージョーンズが今作では純粋で健康的な青年レッドを演じていてびっくり。
彼の色白さは健在でした。
ミルドレッドと個人契約を交わし、広告を出したレッド。ディクソンからの理不尽な暴力を受け、入院していたところに、当の張本人であるディクソンが全身火傷で同室に入院してくる。
当初、誰なのかわからず優しく接するレッド。たまらずディクソンが謝罪の言葉を述べ、最初こそ激昴するが、オレンジジュースをそっと差し伸べる。このシーンで涙腺崩壊。大号泣してしまった。

上記のレッドのように、この作品、表立つ怒りや復讐よりも、より際立つものが「赦し」なのだ。
ウィロビー署長が死を選ぶにあたって、各々へ赦しの証として手紙を出したように。暴力を振るわれたレッドが、ディクソンを赦したように。ディクソンが警察署に放火をした張本人であるミルドレッドを赦したように。
永劫的に続いていく憎しみの感情よりも、赦しを受け入れ、選択した方が遥かに楽なのだ。
そんな人間臭い登場人物達の感情の移り変わりや、赦しにフォーカスをあてたこの映画は、伊達にアカデミー賞やゴールデングローブ賞等数々の賞を総ナメにする作品であることに間違いない。
Shelby

Shelby