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ワンダーヤリマン / ドバットマン VS スーパーマン棒の性戦のambiorixのレビュー・感想・評価

2.2
前々から気になっていたヒーローもののエロパロ映画がU-NEXTとH-NEXTの狭間みたいなエリア(日活ロマンポルノやなんかもここにある)にたくさん置いてあったので見てみた。ちなみに、戦後最悪なのではないかと思われるレベルでドイヒーな本作のタイトル『ワンダーヤリマン/ドバットマンVSスーパーマン棒の性戦』(2015)はもちろん日本の配給会社が勝手につけたもので、原題は『Wonder Woman XXX: An Axel Braun Parody』という、非常にそっけないものだったりする。みなさんご存じの『ア・デター』(2010)も『コスッテ・バスターズ/スマターライフ』(2011)も『ハメンジャーズ』(2012)も『アーンイヤーンマン2』(2013)も『マエヴァリン』(2013)も『マイチン・ソー』(2013)も『パイ・オツ・スティール』(2013)も『オッパイダーマン/モンデカミング』(2014)も『HナMEN』(2014)も『ジャック・デルワー 24』(2014)も『キャプテン・ハメリカ2』(2016)も『スーパーシリガール』(2016)も『ヤリチン・リーグ』(2017)も『デッドピュール』(2018)も『キャプテン・モーデル』(2019)もこのパターン。これらはすべて「(元ネタの映画タイトル) XXX (冠詞) (監督名) Parody」という業界のテンプレートに沿っているらしい。

驚くのが、いま列挙した映画をすべて「アクセル・ブラウン」というひとりの巨匠が手がけていることで、この人はエロパロ映画界のレジェンドと呼ばれているとかいないとか。これだけたくさんの場数を踏んできたからにはさぞかし職人的なすばらしい演出を見せてくれるのかと思いきや、ぜんぜんそんなこともなかったりする(笑)。しょせんは早撮りの低予算映画なので仕方がないのだが、ライティングは安っぽいし、会話の場面も俳優のボソボソ喋りを顔の切り返しショットで処理するだけなので、見ていていまいち味気がない。

そしてもっとも致命的なのが肝心の本番シーン。これがとにかく面白くない。本作はあくまでソフトコアポルノ?ぐらいの立ち位置の作品なので、キスシーンがあったりパイオツのビーチクが映ったりはするのだけれど、性器とその周辺部分はいっさい映らない。セックスのくだりは基本的にお互いのペニスとヴァジャイナを衣装越しに擦り合わせるだけ。「AV女優の出ている過激イメージビデオ」を思い浮かべてもらうとわかりやすいのではないだろうか。結合部を映すことができない、という制約のせいなのか作り手たちはだいぶ苦心しているように見える。カメラはほとんど動かんわ、体位もほとんど変えんわ、しまいには同じカットを何度も何度も使い回して尺を稼ごうとするわで、ひたすらに淡白。実用性がまったくないのである。日本のアダルトビデオおよびイメージビデオがどれだけ工夫して作られているか、ということをあらためて思い知らされる作品でもあった。ただし、ジョーカーならぬ「シヨーカー」やハーレイクインならぬ「ハーレムクイン」をはじめとする登場人物の衣装やメイクはなかなか本格的で、よくできていたのではないかと思う。

さて、映画のストーリーはというと、なんと微塵も存在しないのだ。スーパーマンならぬ「スーパーマン棒」がスーパーヒロインたちをこましまくってむかつくのでみんなでもってお灸を据えてやろう、ひいてはやつの恋人を殺してやろう、みたいなところまでは読み取れるのだけれども、基本的に本作は、3分喋って15分セックス、3分喋って15分セックスの構成で、しかもセックスの最中はドラマが完全に停滞してしまっているがゆえに、ストーリー性ははっきり言ってなきが如し。信じがたいのが、タイトルに冠されたワンダーウーマンならぬ「ワンダーヤリマン」が映画の残り10分ぐらいまでまったく姿を見せないところだった。ようやっと出てきたなと思ったら、喧嘩中のスーパーマン棒とバットマンならぬ「ドバットマン」の間に割って入ってみんなで3Pして仲直りして終わり、というあまりにも酷すぎる有様だ。

俺はふだんAVをはじめから終わりまで一気に見ることがないので(というか一度もない)、エロくもなんともない淡白なセックスシーンが尺のほとんどを占める本作『ワンダーヤリマン/ドバットマンVSスーパーマン棒の性戦』を見通すのはたいへんにつらい作業だった(現に休憩を入れながら3回ぐらいに分けて見た)。しかしよくよく考えてみると、いわゆる「普通の商業映画」っちゅうのは、無修正のチンポや無修正のヘアーをガンガンに見せているではないか。それらは「おれたちがやっているのはあくまでアートだから」みたいな理由でなんとなく正当化されているわけだけど、極端な例を出すなら、ラース・フォン・トリアーの『イディオッツ』(1998)は、無修正の性器どころか本番行為の最中の結合部のクロースアップなんかも平気で映していた。ところが、ひとたび「ポルノ映画」を標榜したとたんに表現が貧しくなってしまうのはなぜなのか。なぜポルノを見ているのに俺のペニスはピクリとも来ないんだろう。むろん事態を単純化して、「結合部が見えておればエロくて、見えておらなければエロくないのである」なんてなことを言いたいわけではないのだが(むしろ個人的にはAVよりも過激イメージのほうが好きだったりする)、なんだか見る前よりも悲しい気持ちになってしまったのであった。
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