よしおスタンダード

友罪のよしおスタンダードのネタバレレビュー・内容・結末

友罪(2017年製作の映画)
2.6

このレビューはネタバレを含みます

No.3540

『大きなチャプターが一つ欠落している映画』

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少し前に見たダルデンヌ兄弟の『息子のまなざし』と、本作と、その演出方法がいかに対照的なのだろう、と嘆息してしまった(悪い意味で)。

この『息子のまなざし』にも、過去に大きな罪を犯した少年が出てくるが、

ダルデンヌ演出の特徴
・音楽(劇伴)を全く使わない
・セリフも極力抑えている
・演者が過度な感情表現をしない

これらが実によく効いていて、非常に感銘を受けたのだ。

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しかるに本作『友罪』はどうか。

いわゆるお涙頂戴な演出、演者の過度な感情表現に関しては、人の好みの問題だから、それについてはとやかく言わないし、言うべきでもないと思う。

(私は元々、瀬々監督の作品とは肌が全く合わないので、もう、こういう演出については特に何も思わなくなったw)

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僕が問題だと思ったのは、一点。

「いやいや、自殺した同級生を追い込んだのは、そもそもイジメてた奴らだろ!!」である。

益田(生田斗真)が、イジメられていた同級生を助けられず、結果として自殺に追いやってしまったことを、そこまで本人が罪だと思い、抱え込む必要があるのか、どうか。

私はまずここに疑問がある。

彼が同級生に対して取ってしまった言動について、終生引きずるのは心理的に仕方ないにしても、

まるで、それが大きな一つの直接的要因として、同級生が自殺した、みたいに描かれて終わりだと、

この映画そのものが、大きな罪を犯していることになる。

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「まずそもそも悪いのは、同級生をイジメていた奴らだから!!!」なのよ。

「葬式ごっこをしていた奴らと、もし教師がそれを目にしていたのなら、教師も同罪だろ!!!!」

この視点が完全に欠落してる。

実は益田が一番やらなきゃいけないのは、自殺した同級生への贖罪もケジメとしては大事なんだけど、

それ以上に「イジメてた奴らと教師の責任追及」なのである。

この責任問題への言及がこの映画には一切ないのが、もう怒りを通り越して、悲しくなってくる。呆れるばかりである。

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益田が、同級生を救えなかったという、自分の罪と向き合いながらも、

それと同時に、他の加害者や教師・学校の罪にも向き合い、また、追求しようとしたけれども、いろんなしがらみや圧力で、責任を追及することができなかった。

だから彼は一人で悩み、苦しんできた。

というのなら、わかる。

しかし、この映画には、この、「同級生を自殺に追い込んだ罪は果たして自分だけなのだろうか、と益田が葛藤し苦悩する」大事なチャプターが、ごっそり抜け落ちているのである。

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葬式ごっこの色紙が、記号化しちゃってるのも笑止千万。

これによって自殺した同級生がどれほどの苦痛を味わい、加害者や教師や大人たちを恨んでいっただろうと思うと、私はむしろそっちのほうが泣けて泣けて仕方なかったのに、

この映画の中では、マジでイジメが、葬式ごっこが、記号化しちゃってる。

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我々観客が「あぁ、益田はちゃんと最後に贖罪できてよかったなぁウルウル」ってしたところで

実は、同級生自殺の元凶、温室であった学校側、加害者側には何のダメージにもなっていない、ということを、我々は気づくべきだ。

益田がエモーショナルに大声を上げ、泣き叫んだところで、死んだ同級生は戻ってこない。

私も中学生時代、暴行や窃盗、持ち物の破壊などの被害(イジメなんて軽い言葉は使わないよ)を受けていた。

そのことを知っていた一部の教師やクラスメートからは「かわいそうに、がんばって! 強くなって!」なんて言われることもあったが、

正直私の心情としては「いや、そんな同情とか感傷とかマジいらないんで、加害者と、それを見過ごした教師ぶっ殺していいですか」

なんです。

感傷も同情も、何も解決しないんです。

学校と加害者にいつまでたっても甘い日本、もうほんと、いい加減にしてほしい。

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あとは、忍成修吾の役が、あんなクズなのに、結局この作品の中では何もペナルティを受けていない。これも納得できない。

目の前で鈴木(瑛太)が自分の頭を石でガンガン殴りつけるのを見て、逃げて行っただけである。