このレビューはネタバレを含みます
この光州事件って1980年っていう事なんです。
たかだか、43年前に、こんな非人道的な事件が起こっていたなんて、
ちょっと衝撃だったんです。
でも、更に観続けていると、
そんな衝撃を感じた自分が、情けなくなったんです。
学生運動とは無縁の世界で生きているマンソプが、
そんな現実も知らず、光州へ入って、
屋上でオニギリを呑気に食べているんですよね。
でも、いざ銃撃戦が始まり、現状を知っていく・・・・
っていう過程が、今の世界にも普通にある事なんだと思ったんです。
自分は普通の生活をしているから、
平和だな~・・・と感じてしまいそうだけど、
世界ではウクライナを始め、
様々なところで戦争・紛争が起こっているワケなんですよね。
43年前だから衝撃とかではなく、
今現在でも、非人道的な事は、起こっているワケで。
決して、過去の悲劇的な出来事ではないんですよね。
そう考えると、いつも、自分の無力さを感じるだけで、
何も出来ないんですけど。
こういう映画を観て、自分の無力さを感じると、
生きていくのが難しいなぁ・・・・って思います。
結局、無力な自分は、
毎日を地道に、しっかりと生きていくしかないよね・・・
って思うんですけどね。
それで、いいのか???っていう疑問が、付きまといます。
この作品は、実話を再構築したフィクションなんですが。
こういった悲惨な事件があった事を知れたし、
感動もしたんですけど。
何かが、私の中で違和感として、残っていて。
それが何なのか、今日1日考えていたワケなんですね。
ソン・ガンホ様の演技は素晴らしかったです。
学生運動に興味なかったマンソプが、その現実を知っていく過程や、
外国人記者との結び付きも、
凄く丁寧に描かれていたと思う。
リュ・ジュンヨル様演じる通訳学生の行く末も、
「ああ・・・こういう犠牲者が沢山いたんだろうな」と、
理解出来るものだったと思う。
なのに。
何かが、引っかかる。
それは、最後のカーチェイスにあるんだと、
先ほど、風呂に入っている時に、その答えに辿り着きました。
いや、、実話をもとに再構築している、
フィクションなので、それは良いんですが。
死者が多数出ている事件を描いている作品で、
必要かどうかも分からないカーチェイス場面で、
更に、死者を増やさないで欲しかった。
・・・・という違和感だったんです。
あのカーチェイスが、必要だったかどうか。
私は、必要なかったし、
あの場面を入れる事よって、運転手さんが死んだり怪我したりするのは、
無駄に事件の死者を増やしているようで、
痛々しく感じてしまったんです。
通訳学生の死は、実際にはなかったとしても、
その一人の死から、多くの無残な死を感じる取る事が出来ます。
でも、カーチェイスから、
同じような死を、感じ取れはしません。
なぜなら、カーチェイスシーンが、
この映画に必要では無かったからだと思うんです。
実話による再構築による作品であったとしても、
後世の人間を楽しませるために、こうして死者を増やす事が、
どうしても、私にとって、違和感でしかなかったワケなんですよね。
逆に、検問で、運転手と記者を見逃した軍人も描かれていましたが、
あれも真実がどうか分からないけれど、私は、あの時代でも、
ああいう「良心」があったはず・・・という事は、
理解出来るので、とても良いシーンだと思えたんです。
なので、カーチェイス部分をカットして、
最後の山場を、あの検問にしておけば良かったんじゃないのかな・・・・と思った次第です。
なかなか、この違和感を伝えるのは難しいんですけど。
語弊はあるかも知れないけど、
二次的被害的な感じ??なのかな。
そういう嫌悪感が、残ってしまったんです。
まぁ・・・しかし。
43年前の事件を、同じ韓国がこうして映画化出来ているのが、
素晴らしいなぁと思いますよね。
1989年の天安門事件と比べると、余計にね。
先人たちが勝ち取った自由なんですよね。