このレビューはネタバレを含みます
些細な争いごとが国家、民族、宗教の問題に発展して行く…。
そんな日本人の私には理解し難いテーマでした。
背景には中東問題→パレスチナ問題→レバノン内戦が複雑怪奇な事情があります。
この物語に関連する事だけかい摘んでいくと、
中東の敵対要因として
宗教
宗派
国籍
があります。
宗教が同じならつまり教義が同じなら、同じ括りと捉えてしまっては少しこの物語では輪郭がボケてしまうかもしれません。
つまり、レバノンという国が、中東の中にあって、キリスト教国家という点、大統領はキリスト教マロン派から、首相はイスラム教スンナ派、国家議長はイスラム教シーア派からという不文律がガバナンスの枠組みであるという前提があります。
そして事が起きるのは、そのバランスがパレスチナ難民の流入で崩れてしまった事に起因します。
長くなるので大部分は割愛しますが、
1982年のイスラエルのレバノン侵攻時に友軍のキリスト教民兵が、パレスチナ難民キャンプにおいて大虐殺をなし、シャロン政権は黙認を決め込んだ。
つまりパレスチナ人にとってシャロンは大殺人者なのです。
主人公のレバノン人はつまり暴力以上の暴言を吐いてしまったのです。
裁判の過程で過去が暴露されるのですが、然し同じように彼も故郷をゲリラに追われレバノンに奇跡的に逃げこんだ過去の持ち主です。
中盤の法廷闘争は原告側の弁護士(おそらくはユダヤ人)対パレスチナ人(娘は人道主義に立脚しているので)の上げ足取り合戦。
そして、
お互いはごく普通の善人で小市民という挿話を挟み、クライマックスではお互い納得のいく結末を迎える。
私は最後までここが分からずにいました。
なぜ、暴行を受けてその弊害もあったのに無罪なのか、そして原告のあの納得した表情はなんなのか?
結論は冒頭に書いた通りです。民族や思想、信条を超え、同じ境遇を生きてきた人々の反省と許容それは言葉では言い表わせないものなんですね。
今世では、SNSというテロが当事者同士の解決を遠いものにし、無関係なものが高みの見物を決め込む無責任さが蔓延っています。
個を省みますと人権や人格、生活権を軽々しく侵してはならない。
という自戒を感じずにはいられません。