持て余す

サニー/32の持て余すのネタバレレビュー・内容・結末

サニー/32(2018年製作の映画)
2.6

このレビューはネタバレを含みます

白石和彌監督にリリー・フランキーとピエール瀧なのでどうしたって『凶悪』を想定してしまうので、この映画はなかなかしんどい立場になってしまう。見る順番が逆ならもう少し評価が高かったんじゃないかと思うのだけど、どうだろうね。

感想で散見しましたが、サニー役の北原里英がどうのこうのという批判はかなり筋違いで、このもっさりした仕上がりに影響しているのはぬるい脚本とだるい演出だと思う。光る部分はあるけど、物語にしても登場人物にしても重心が行方不明になってしまっている印象で、芯が弱くて平板になっているように感じた。

実際の事件を底にしたところは傑作『凶悪』と同じだし、人相の悪いカタカナ名前の俳優ふたりと遠慮のない暴力なんかも同じ、監督も脚本も同じ人なのになんでこうも差が出たのだろう。全体に上滑りで、どことなく作業っぽい感じがしてしまった。

拉致されて監禁されて配信を始めるくらいまでは特に問題なかったと思うのだけど、それから後は「?」となる展開が続く。映像配信がらみの部分がなにもかも古臭かったし、タガの外れた配信者の若者像もいかにもおじさん世代が考えた想像上の生物だった。

なにより残念なこの映画の最大のつまずきに見えたのは、小屋の中でサニーが次々に説教していくシーン。あの説教が……なんとも普通だった。あれは大事な通過儀礼のようなもので、それぞれ鬱屈を抱えた登場人物たちが、一度疑似的に死んで新しい人間として生まれ変わる場面の筈だ。

ところが、内容がいずれも「まあ、そうだよね」という普通の説教の域を出ないものばかりで、心に深く刺さらない。これが途轍もない極限状態で、そもそも心理的にむき出しの状態であるという前提であれば少なくとも登場人物が感銘を受けてしまったということだってあるだろうし、作り手もそれを狙った可能性だってある。

でも、彼らはあの状況で爆発しそうなほどに追い詰められていたようには見えなかった。あのシーンを北原里英の力不足と捉えるのは違うし、寧ろ演者はあの程度の説教シーンでよく頑張っていたようにすら感じた。

だから、そのあとでインスタントな新興宗教じみたコミューンが出来上がっているのも釈然としないし、ホンモノのサイコパスである本物のサニーの登場を契機に居場所が瓦解していく様子にも、気持ちが乗れない。全体に漂ういまいち感は、そうした「軽さ」が原因だと思う。

これ秋元康が原因なのかな。
だとしたらひどく腑に落ちる。
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