尿道流れ者

さびしんぼうの尿道流れ者のレビュー・感想・評価

さびしんぼう(1985年製作の映画)
5.0
素晴らしすぎる青春映画。尾道三部作のラストにして、最高のノスタルジーと人間愛。切なさと虚しさと可能性をフルに感じる映画。

前半は尾道の高校生のくだらない日常で、後半は謎のピエロ少女に惑わされながら親子や少年と愛する人とのドラマが発展する。
尾道で生きる少年達の日常は本当に楽しそうだが特別なものでは無く、誰しもの青春時代を投影したものでどこか懐かしく寂しい。
よく洋画ではファックとどんだけ言ったかという記録があるが、この映画ではキンタマという言葉が記録的な回数出てくる。爽やかなキンタマから上品なキンタマ、集団的キンタマまで勢ぞろいなのです。
主人公は他校の美人に恋をしているのだが、フィルムの入ってないカメラのファインダーから放課後覗くというなんともストーカーじみた恋愛でキモ可愛い。
この他校の美人とピエロ少女を演じるのが富田靖子なのだが、ちょっと人間離れした美しさと可愛さで、この魅力だけで星億万個ぶんの感動がある。絶対的に可愛いが憂いや薄幸さに満ちた表情に心を奪われる。美少女としての儚い美しさと、ピエロ少女としての元気な可愛さが同時に観れるだけでアイドル映画としても素晴らしい。一晩中ニコニコして過ごしましたという台詞の可愛さに下腹部の収まりがつきませんでした。

ピエロ少女が登場することで淡い青春が、一気に観ている人達が自分を見つめ直すような尊い物語へと変わる。
僕たちは人の一面に惹かれたり嫌ったりとその人の別の顔を知らないままであったり興味がないままだったりする。別の顔を知らないままでいることで、その人への安定した憧れを持ち、距離を保つが、それでは先へ進めない。その多面性をきちっと理解し、愛することができれば、悲しい別れなど無かったかもしれない。ただ、それを経験した上で今を生きて、今を愛することが何よりも尊い行為で、それは全ての過去を肯定する行為となる。

ピエロ少女と美少女とのコミュニケーションから、主人公は両親の持っていたもう一つの顔を知る。それは今までただ受け入れられないままだった両親のイメージを変え、そこにある深い想いや愛、優しさに気づくきっかけになる。
このもう一つの顔に対する表現や連動性が素晴らしく、一つ一つ露わになるたびに心を打たれる。

失ったものは戻らないが、今後それを失わないために、再び訪れる出会いのために観る映画。

ラストのピエロ少女と主人公の雨のシーンは卑怯なくらいに悲しく美しい。