はい来た!リドリー・スコット節!
実際にあった誘拐事件を題材にはしているけど
こういうノンフィクション系の作品って、大きく分けると2つのパターンがあると思うんです。
1つは「事実をどれだけ興味深く伝えるか」
2つ目は「事実に対してどうテーマ性を絡めるか」
この映画に関しては後者だと
俺は解釈しています。
以下、少しだけテーマの核心部分に触れるかもしれません↓
この監督っていつもそうだなぁと感じるんだけど
作品の中に、目には見えないような
「世界の不条理な構造」に対する皮肉や哲学を混ぜ込んでいると思うのです。
大富豪ゲティは、富はあるけど傲慢で、人助けなどには全く興味も無い。というか、正真正銘のドケチなわけで、自宅の電話でさえも身内にすら使わせないほど。
自分を「大皇帝の生まれ変わり」だと信じていて、世界を征服する権利があるとほのめかすシーンも。
「金など空気のようにある」なんてセリフの後に
「どれだけ稼げば気が済むんですか?」の問いに
「もっとだ、もっと」などと答える1幕も。
どれだけ稼いでも満足する事は無く、彼の喉の乾きは潤うことは無いように感じるわけです。
物語の終盤
ゲティが、財を築く事よりも大事な事に気づいたように感じるシーンがあるんだけど
結局本質的には何も変わってないのでは?と、ため息が出る。
孫が誘拐された事に対する対応を巡って批判され
義理の娘にも愛想を尽かされ、息子もダメ人間まっしぐら、周りの人間達の興味は己の財産と地位だけで、誰一人としてゲティを
「褒め称え愛する」人間が登場しないわけなんですよ、この作品って。
宇宙を含むこの世界全体の構造
「神」もまた、その構造の1部で
人間を創造した結果、人間から憎まれ、妬まれ、見放され…
どれだけのパワーを持っていても
「利己的」な存在である限り、真の英雄にはなれず、意義など無い。
意識のある存在なんて全て「利己的」なんですけどね。
リドリー・スコットなりの
神や世界の構造に対する
巨大な皮肉爆弾が炸裂しているように感じました。
中だるみがちょっとしんどかったり、映画全体のトーンが暗めだったり、よく分からない美術品がいっぱい出てきたりと
決して楽しい作品では無いけど、
色々と考える余白の部分も含め
長い時間座っている間に、様々な思考を巡らすには良い映画かもしれません👍