ホテルエルロワイヤルという映画を観た。
マイティソー役で知られるクリスヘムズワースが本作では怪しい魅力を持つ男を演じている。
個人的にかなり好きな作品だった。
本作を簡単に説明すると、エルロワイヤルというホテルに集った人々の様々な思惑が交錯するクライムサスペンスムービーだ。
本作を観て、やはり人間は良い意味でも悪い意味でも弱い生き者だと改めて感じた。
僕には、作中で二つの弱さが描かれている様に見えた。
まず一つ目として、本作には過去に犯した罪に罪悪感を覚えて押し潰されそうになっている人物が登場する。
彼の姿が僕には他人事に思えなかった。
もちろん僕は彼の様な罪は犯していない。
ただ、生きていれば罪悪感を感じる場面は誰にでもあるはずだ。
そのせいで眠れなくなる夜もある。
些細な罪悪感でもこれほど苦しいのだから彼の様な罪の念では比にならないだろう。
けれど、その弱さ故に僕らは少しでも正しく生きようとするのだとも思う。
僕らが正しく生きようと思えるのは、残念ながら誰かを思いやる気持ちよりも自分が苦しみたくないからという気持ちの方が強い気がする。
そういう意味では、ある登場人物の弱さ故に正しくあろうとする姿には現実味があったと思う。
実際に過去の罪を許してほしいと思っても、誰に許しを乞えば良いかわからなくなってしまっていることや様々な事情で許して欲しい人にもう会えないことが多い。
仮に許しを得ることができたとしても、友人が言う「誰だってそういうことあるし、もう気にしなくて良いんじゃない?」くらいのものだ。
罪悪感の根源になっている出来事に関係ない人に許されることは有り難いし少し楽になるけれど救いにはならない。
その点、神様や神父の存在というのは偉大だ。
聖職者という存在は日本ではあまり馴染みの無い存在だが、聖職者を介して過去の罪を懺悔すれば許されてしまう。
経験は無いが縋りたくなる気持ちもわかる。
また、別の登場人物は一人の男に魅了されている。
その男の言動は自信に満ちていて、まるで全ての答えを知っているかの様に見える。
僕らは生きていく上で多くのことを一つ一つ自分で決めている。
そこには責任も伴う。
当然それらには多大なエネルギーを使う。
場合によってはストレスにもなる。
だからこそ誰かに従っていれば楽ができる。
失敗しても言い訳ができる。
支え合うのではなく寄り掛かってしまっている様な人間関係は危険だ。
誰かに従うことや憧憬の念を抱くことが悪いことだとは言わない。
ただ、誰かに自分を決めてもらうことに慣れすぎて自分を見失うのも弱さだと思う。
そういう人は、いつだって無意識的に失敗した時のことを考えて他人のせいにする準備をしている。
自分の意思で生きているようで、誰かのせいにできる状態にしてから多くのことを行うのは本作で描かれている二つ目の弱さだと思う。
前提として人間は弱い生き物だから弱さを否定するつもりはない。
けれど、大切にすべきは一つ目の弱さだと僕は思う。