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名探偵コナン ゼロの執行人のchiのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

担当検察官が無罪を目指し担当弁護士が有罪を目指すという逆転の構図が最初のモチーフかな、と思った。

子供目線での時代的な感覚に立つと、作中でどんどん進化していくドローンを「新時代の技術」とする一方で公安から出てきたガラケー爆弾や盗聴アプリやプロクシブラウザは「旧時代の(既存の)技術」に属するのでは?
このふたつ(=コナンと安室)が協力して、敵の陰謀を阻止する。長年のファンは作品内と外を区別して考えるので、コナンが既存の価値観で安室が新しい風に見えるけど、子供にとっては身近なのはコナンと探偵団の方。安室が代表する大人を旧弊だけど優秀なサポート役として、博士の作る未来の技術が活躍する図式がきちんと作られている。

以下二回目の感想。
中盤の安室の「協力者を解放する」という発言は小五郎じゃなくて境子のことだったのだなと理解。更に羽場も含まれているのかはわからないが(外国語字幕を考慮したミスリードだとすれば単数の境子一人?)、もし羽場は手元に置き続けるつもりならば境子を羽場に会いに行かせると言う結果に至らないよう振舞うはずなので、あの連絡先にもなにかの仕掛けがあるのかもしれない。

二回目を鑑賞する前に読んで、物語の読み解きに非常に影響した考察があるので要旨だけメモ。
・一年前のNAZU事件を契機にゼロは公安検察を完全に掌握した
・羽場を雇い入れるより前の境子の過去が全く説明されていないのは、脚本家が用意したテーマのうちコナンという作品に合わず削られた要素に関係しているからではないか
・羽場という人物の危険性。やわらかく言えば人たらし。

上記を踏まえた上で観ると、羽場のヤバさが際立って見えた。思想はもとより人間的魅力が実現可能性を高めていて、日下部も境子も別れの際まで掌の上に置いている。どの程度自覚的なのか、どこまでが降谷に指示された協力者としての任務内なのか、そしてコナンがどこまで手口のえげつなさを理解した上で協力しているのかはわからない。
ただ、もしこういうタイプの人物が犯人の役を得た場合、コナンの手には負えないかもしれない。確信犯かつ感情を操る詐欺的手法を取る犯人、動機にキリがなく同じことを繰り返す常習犯。本人に罪を自覚させずに飼い殺すという選択はコナンには取れない。今回の映画で降谷は「目的のためなら無実の者に罪を着せる」というやり方でコナンとの信念の違いを見せたが、自分が正義を実行するに相応しいという思想が最後まで消えていない羽場についても「正義を揮うに適格でない者をそうとは断罪せず手元で管理する」という、典型的に逆方向に振り切れた、しかしこちらもコナンと一致しないやり方で事件を未然に解決している。

更に岩井検事の描かれ方も、ゼロの傀儡としてそこにいるという前提で観ることで納得がいった。振る舞いがおかしい人物にはきちんと意味があるという点で、非常に観やすい映画なのだと安心した(過去のコナン映画では、ゲスト声優のタレント性に合わせて不審になっているだけで物語上は目立つ必要のない登場人物がいて非常にわずらわしかった)。
また、日下部は岩井に担当事件の判断を勝手に進められるなど軽い扱いを受け、その後岩井に危害を加えているが、この二つの出来事の因果について触れるどころか匂わせる描写すら劇中に一切ない。同期かつ職業意識がまるで違う検事二人という人物配置でありながら確執らしきものが一切描かれなかったことも、上記考察で触れていた境子が協力者を引き受けた経緯と同様、第一稿にはあったが削られた部分なのかもしれない。
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