ぐんま

千と千尋の神隠しのぐんまのネタバレレビュー・内容・結末

千と千尋の神隠し(2001年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

やっぱり映画館だと家で観るより音がよく聴こえていいなあ。

考察してたらレポートばりに長くなってしまったのでいくつかピックアップしました。

まずは異世界と人間界を繋ぐトンネル。
行きはモルタル製(千尋の父曰く)で駅舎のような時計台のような立派な出口のトンネルなのに、帰りはボロボロの石造りになっていた。最初から神隠しに遭うトンネルをくぐっていたんだろうか……。トンネルに差し掛かる前の石のほこらやしめ縄のされた大樹がそれを指し示している気がする。すげ〜。

次にカオナシとは何なのか。
カオナシは人間の心の具現化であるように思う。
自分には何もなく(顔がなく)何者かになりたいという密かな欲を、誰も見向きもしない橋の上で唯一自分を見てくれた千尋に求めたんじゃないだろうか。だから必死に追いかけて千尋を喜ばせようとする。
そして青蛙や番台を食べて他人のアイデンティティや欲望を手に入れたカオナシは「千は何が欲しい?何でもあげるぞ」というくらい傲慢な存在となる。何者かになれたと勘違いしている。けれど実際は取り繕ってるだけなので千尋にどこから来たのか尋ねられて狼狽えるし、「あなたにわたしの欲しいものは出せない」と言われた時は自分が必要のない存在だと言われた気がして激怒したんだろうな。
そんな風に千尋に執着していたのに離れることができたのは、銭婆に「手伝ってくれて助かる」と言われ自分の居場所や存在意義を見つけることができたからなんだろうな。よかったね。
あの世界に人間はほとんどいないわけだから、カオナシは千尋たちがトンネルをくぐったときに一緒に入ってきた(生まれた?)んじゃないかなと思う。

そして銭婆のもとへ向かう電車。
「中道」行きの文字があった。中道というのは仏教用語で"執着から離れ、正しい判断をし行動すること"を意味する。それまで油屋でハクやリン、釜爺を頼ってきた千尋が初めて自分で決断して銭婆の元へ行くことや、上で述べたカオナシのことを言っているのかなと思いました。
釜爺がしきりに「六つ目の駅で降りろ」と言うのも、「昔は帰りもあったが今は行きっぱなしだ」と言うのも、同じように仏教に当てはめて考えると少しなるほどと思えるかも。六道と八正道が関係あるのかな〜なんて。

最後にこれは千尋の成長物語なのかどうか。
よくそんな風に紹介されるが、わたしは少し違うような気がした。どちらかというと、千尋がいつか成長するための物語かなあ。
銭婆の言うように「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで。」なのかもね。
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