このレビューはネタバレを含みます
自分の名前を言うこと。
コンプレックス(自分で自分のことを恥じること)と向き合い、自身を認める。
悪意のない善意が悪意に見えてしまうことも、またこの物語で重要だと思う。
主観と客観の齟齬を利用し、安易に予想し得る物語の着地点をあえて避けたことで見えてくる景色を描いたことが素晴らしい。
バンド"しのかよ"の成功や3人の友情がメインではなく、あくまでも志乃ちゃん自身のパーソナルな部分を抽出した物語の着地点であることがわかる。
つまり、先生や周りの生徒の反応、言葉、視線その他諸々は下を向き、言葉を交わせない志乃ちゃんが受け取った「理解してくれないこと」と「劣等感」そのもので。
それに加えて、志乃ちゃんがまともに話せるようになったわけでもない。
自身を認めたことで、そんな志乃ちゃんのようにコンプレックスを抱える人たちを受け入れてくれる人間が周りに現れる希望を見せる物語になっているんですよね。
コンプレックスとひと括りに吃音症と音痴を同じ土俵で語ってしまうのはどうなのよ。
って最初は思ってたんですよ。
でも、それってあくまでも僕視点での見方であって、志乃ちゃんは勿論、音痴であるかよちゃんにとってそれほど重要なことなんだとわかるわけで。
ここが主観と客観のズレ、乖離、齟齬であって、コンプレックスって本来はそういうものなんだと改めて思わされたんです。
コンプレックスって結局、自分が抱く劣等感、自己嫌悪な部分でもあるじゃないですか。
でも周りから見れば笑われたり、気にも止めなかったり、些細なことであったり、自分が思っているものとは異なる価値観が存在するんですよね。
しのちゃんとかよちゃん、お互いが自分にとってのコンプレックスを抱き補い合う姿はおじさんの僕でも素敵だなって思ったよ。まばゆかったよ。