YN

響 -HIBIKI-のYNのネタバレレビュー・内容・結末

響 -HIBIKI-(2018年製作の映画)
2.8

このレビューはネタバレを含みます

彼氏から「最近の邦画にしては工夫があって面白かった」と勧められて見た。
確かに、アイドルに無理に情感たっぷりな演技をさせず、一本調子な演技が映えるような役をあてがったり(ターミネーターメソッドだ)、高嶋政伸や小松和重など、ベースを固める脇役の配置などは良く、十分楽しめる作りになっていたと思う(後述するがアヤカ・ウィルソンの演技は良かったし、主役の響というキャラクターにもちゃんと愛着が湧いてくる)。

だが、どうしても納得がいかない部分がある。それは北川景子演じる編集者が最後まで制裁を受けない点だ。
彼女はこの物語の諸悪の根源であり、自覚がないのが尚悪い、がん細胞のような存在であると言える。
北村有起哉演じる元売れっ子作家や野間口徹演じる記者など、クズなキャラクターたちに鉄拳制裁を加えてきた響が北川景子だけをスルーするのはおかしい。北村有起哉を蹴るならば北川景子も蹴飛ばさねばならない。

それはなぜか。北川景子演じる花井の罪は何か。それは「創作者ではないのに創作者かのように思い上がる」そして「そのせいで作家を潰した」ことだ。
響と花井の初対面のシーンで、響自身がそれを指摘している。「作り手のつもりか」と。
その問いかけへのアンサーがリカの作品への介入、そして作品をつまらなくしたことになる。
伏線まで貼っておきながら、この大きすぎる罪への制裁がないのだ!

この件について、作中で響はリカに対し、「花井からの提案であろうと、自分が納得して修正したならそれはリカの責任だ」と言うが、どうもこのセリフは響のキャラクターとして一貫性がない、もしくは「リカの責任である」と観客に納得させられるだけの描写がなされていない。
そもそも大人と子供の関係であり、更にリカは(響以外とは衝突したことがないことからも)波風を立てないことを重視する価値観を持っている。父親の名前のプレッシャーもある。花井からの提案を突っぱねるができなくても、それはリカの責任とは言えないだろう。
むしろ、それをわかってうまくコントロールするのが花井の役割なのではないか。もちろん、編集者の本来的な業務に「高校生のお守り」は含まれないが、作家のポテンシャルをきちんと引き出すのは仕事と言えるだろう。
そもそもこの花井という人物、そういったコミュニケーション面で致命的なミスを犯しすぎなのだ。
リカ周りだけでも、リカの目の前で響に猛アプローチをかける(直前、リカの作品が新人賞に通ったと思うか? という質問に対して曖昧な答えをしておきながら!)、ノミネートされなかったリカへのケアはなく(小松和重演じる編集者との差異を見よ)、響のことで手一杯になる、など、ちょっと人としてどうなの? と思わざるを得ない。
花井はやることなすこと殆どが間違っているのに、響にとっては「最初に感想をくれた人」だからなのか、無条件に信頼の対象となっていて断罪されない。

この映画の旨味は、響が傍若無人に暴れまわり、間違ったこと、間違った奴らをボコボコにする部分が大きいのだが、もっとも間違っている花井は最後までボコボコにされないので、全く溜飲が下がらないのだ。
響が、全く悪意のない巨悪としてのラスボス・花井の心を完膚なきまでにバキバキに折ってはじめて、「あー面白かった!」と思えるのだ。

ということで、どっちかというと胸糞悪い気分で視聴を終えたのだった(更に言うと北川景子の演技もあまりにもひどく、役・役者双方に対してフラストレーションが溜まりまくった)。
一番大きな収穫としてはアヤカ・ウィルソンの演技が良かったこと。登場時はそうでもないと思ったが、不快なことも全部飲み込み、受け流し、耐えるというリカの性格がわかってくるにつれ、どんどん演技も良くなっていった。発散しないタイプの演技は難しいと思うのだが、彼女の場合はむしろ発散型のほうが(要はセリフでバーン! と気持ちを口にするような演技のほうが)苦手と見え、うつむいて唇を噛みしめる様などはとても説得力があった。
(その説得力ゆえにリカの悲壮感が強く打ち出され、そのケアを全くしない花井の非人間的な部分が強調されてもいるのだが……)
YN

YN