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響 -HIBIKI-のよへのネタバレレビュー・内容・結末

響 -HIBIKI-(2018年製作の映画)
2.7

このレビューはネタバレを含みます

芥川賞を昔に受賞し、今では惰性でテレビ出演や執筆をしている作家に対して、鮎喰響が思わず放った言葉。これが、漫画と映画とで異なっていました。
漫画で許される過激さが、大衆の映画では許されないと判断して、映画では、マイルドな表現に変えたのだと思います。
しかし、漫画で表現された異常さに共感を私は持っていました。実は、多くの人に否が応でも共感を呼んでしまう内容でもあるのだとも思います。
漫画では、「どうして、生きているのかな」であるのに対して、映画では、「どうして、書き続けているの」となっていました。
才能が枯れたとき、生きている意味がなくなるのではないか、と、それでも生き続けなければいけないのか、それは大変だな、と、鮎喰響は純粋に思ったのです。

現役時代、社会にインパクトを与える仕事をこなした人が、現役を退き、認知症等になったら、安楽死を望む人の心理にも通ずるかもしれないと思います。
社会の役に立たなくなってしまったら、自分は社会からいなくなりたい、と思う真面目な心理。
逆に言えば、生産性の低い人の生命や尊厳を軽んじるような発想とも言えるかもしれません。
それでよいのか。芸術や才能という世界の話と、一般の社会とを切り分けて考えればよいのか。それとも、共通して考えなければいけないのか。

漫画では、最終話にヒントがあったように感じます。
「たぶん私には、一生書きたいものがあって、それを書き続けるんだろうなって。」
才能が枯れるかどうかなんて関係ない。「私は私。それだけは絶対永遠に変わらない。」ということだと思います。
生きたいから生きるわけで、役に立つかどうかとか、世の中でどれだけ評価されるかどうかなど、はっきり言えば、関係ない。真面目に考えすぎてはいけないと改めて思いました。
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