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万引き家族のaのネタバレレビュー・内容・結末

万引き家族(2018年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

誰も血が繋がっていない。でも家族だ。
「万引き」という行為について。映画に登場する「家族」の中で「万引き」という言葉が登場したのはたったの一度だけである。店にあるものはまだ誰のものでもないから貰っても(拾っても)いい。劇中では「これ」とか「あれ」のようだ代名詞やジェスチャーで表現される万引きという行為。しかし「それ」を共有することで血の繋がっていない家族が繋がっている。
リリーフランキー演じる治と、安藤サクラ演じる信代が祥太とゆりを「拾った」のも、二人とも既に誰かのものではなかったから、だろう。祥太の生い立ちは詳しくは説明されていないが、状況からみてゆりと同じように親から決して良い扱いは受けていなかったことが推測できる。
家族とは何か、親とは何か。血が繋がっているから家族なのだろうか。
確かに血が繋がっていれば事実として家族である。しかし血の繋がりのない柴田家には確かに家族の絆が存在していた。殺人を隠蔽したこと、虐待を受けていたこと、風俗店で働いていたこと、万引きをしていること。誰にも言えない秘密の共有、これも経て家族になって行く。
ずっと治のことをお父さんと呼ばなかった祥太がバスの中で言ったこと。祥太はずっと万引きをすることも正しいことだとは思っていなくて、そこに駄菓子屋のおじさんに拍車をかけられて、お婆ちゃんも家に埋めて。もう自分では隠し事が抱えきれなくなって外界へヘルプを出した。でも信代が捕まって家族もバラバラになって万引きという当初の繋がりが無くなってからも祥太と「家族」の繋がりは消えてなかった。確かに家族だったんだなあ、と。
信代だって万引きが悪いことだって分かっていたはず。そもそも万引きしなくても信代も働いてるし、治もその気になればちゃんと働けるし最低限生きていくだけの収入はある。もしかしたら、あの人たちは何かを共有しなければ生きていけなかったのかもしれない。それが偶然万引きだっただけであって。確かにお金は無かっただろうけど愛はあった。
亜紀が誰もいなくなった家の扉を開けたとき、そこには確かになにも家族としての形は無かった。他人だから。でも愛はあふれていた。
取り調べを受ける信代を見て、十分にあなたは母親だよ、と声をかけたくなった。児童虐待、貧困、老人介護、現代の日本に蔓延る様々な問題の描写もリアルで、でもそのリアルの中に希望を投影している映画。最後は物理的に家族がバラバラになってしまうけど、決して不幸な感情にはならない。むしろ幸せだ。

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