このレビューはネタバレを含みます
【見事な聖俗の逆転劇】
本作の主人公、山口善助は変わった男です。家族はおらず、貧乏で、字が読めず、盗癖があり、天皇陛下のファンです。子役の子の顔つきも雰囲気もまるでミニ渥美清!
善助は、普通の人が嫌がる軍隊への入隊を喜びます。その理由は、生まれ育ちで差別されないし、飯が腹いっぱい食えるし、俸給はもらえるし、住むところにも困らないし、仲間がいて寂しくないし、なにより自分が役に立てるから。それだけ、彼にとって外の世界は過酷ということなのでしょう。
支那事変が勃発し、善助にも召集令状が届きます。彼は北京の軍犬部隊に配属され、献納軍犬友春号の飼育係として訓練に励みます。「犬でも情に変わりはない」「これほど心配してくれる人間が今までいたか?」班長に諭され、善助と忠犬友春はベストパートナーに。渥美清の顔をペロペロ舐め回す犬を見ていると、ホントに懐いていたようです。そんな善助と友春に悲しい別れが訪れます。日本が負けたため、軍用犬は現地に残されることに。いつまでも聞こえる友春の悲しげな鳴き声に善助も涙が止められません。
映画は天皇陛下人間宣言、極東軍事裁判、引き上げの様子をポンポンとテンポよく描写し、時代は戦後へ。
善助の人生には3人の女性が登場します。一人は小学校の美人女性教師(岩下志麻)。彼女は孤独な善助に字の読み方をレクチャーしてくれます。ただ、小さな誤解が元で善助は少年刑務所へ。
二人目は没落貴族の美人奥様、久留宮ヤエノ(久我美子)。善助は友春の元の飼い主であったヤエノの家を訪ねます。夫は出征したまま行方知れず、一人残された彼女は食い物にも事欠く有り様。放っておけない善助は必死で働き、彼女に食料を届け続けます。ただ、小さなアクシデントが元で善助は米軍に捕まり強制的に沖縄送りに。
この二人の女性と善助の関係性から、彼の性癖が明らかになります。彼の望みは「美人の飼い犬になること」です。彼は教師やヤエノが心配したみたいな、男女の関係を望んではいません。ただ褒められて、なでなでしてもらいたいだけです。自分が友春にしていたみたいに。友春号は自分が飼い主でしたが、今度は美人が飼い主で、自分が忠犬になりたいのです。美人の飼い主の元でだけ、彼は生き生きと働くことができます。そんな彼の倒錯した願いはヤエノの夫の帰還により断たれてしまいます。その後の彼は、生気が抜けたように自堕落な生活を送るようになります。
三人目の女性は可哀想な街娼の恵子(宮城まり子)。もともと顔見知りであった善助は、街でばったり出くわした恵子をまるで子犬でも拾うみたいに自分のバラックへ連れ帰ります。恵子はそんなに美人でもないしそんなに神聖さもないので善助の飼い主にはなれません。善助はどちらかと言うと恵子を飼い犬のように扱います。恵子は忠実な犬のように善助に尽くします。二人で支え合って生きているように見えますが、善助は働きません。生活は行き詰まり恵子は家を出ます。残された善助は、街で子犬を拾います。犬に向かって「恵子!恵子!」と呼びかける善助。やはり「恵子≒飼い犬」だったようです。
特殊な生い立ちのせいか、女性と対等な関係を結ぶことができない善助。かれの幸せは天皇陛下や美人の「忠犬」として生きることのようです。
本作の中で本当に尊い存在は天皇陛下でもなく、女先生でもなく、ヤエノでもなく、拾い犬のような女性、恵子でした。善助が天皇陛下に命を捧げようとしたみたいに、彼女は善助と生まれくる子どもに命を捧げました。最も卑小な存在が最も尊い存在になったラストは見事な聖俗の逆転劇でした。善助も彼女を失って初めて、それに気づいたことでしょう。彼は今後、誰かの飼い犬になりたいなんて思わなくなるでしょう。恵子は善助の心の奥に「永遠の聖女」として生き続けるはずです。これからは恵子が命と引換えに遺してくれた娘を幸せにするために身を粉にして働く善助の姿を予感させる、映画のラストシーンでした。