高楊枝

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの高楊枝のレビュー・感想・評価

4.5
恐らくは予告にいたブルース・リーが気になったとか、そんなきっかけで鑑賞。

見る前は簡単に事件概要を一読した程度。

タランティーノ監督過去作品は見ていない。

なのにラストシーン、カメラが上昇していく時、胸が熱くなった。

実際に起きたシャロン・ステート殺害事件。
一方で最盛期が過ぎた俳優とそのスタントマン。彼らはフィクション。

実際の事件と虚構の登場人物。
監督の解釈を踏まえて、1969年が鮮やかに描かれる。

良かったのは、落ち目の俳優リック(ディカプリオ)と、子役少女が話す長台詞のシーン。

※以下一部ネタバレ含む※

何の本を読んでるかを聞かれたリックは自身の俳優人生を小説に例えて語り出す。
リックは画面右(上手)、少女は画面左(下手)の構図。リックが強い関係を示している。(原則であり絶対ではないです)

華々しい俳優としてのキャリア。
しかし栄枯盛衰。
最盛期は過ぎてしまった。

とうとうリックが泣き始める。

ここで少女のアップ。
抑揚のない長台詞からの変化を予期させる。

そして、心配した少女はリックのもとへ歩み寄る。ここで少女が画面右、リックが画面左となり立ち位置が変わる。
立場逆転、少女がリックを慰める。

という流れ。
キャラクターにリアリティを与える長い会話も凄いが、細かいメリハリのつけかたが丁寧なので、見てられてしまう凄さ。

何というか、本映画も同じなんではないか。そんなことを思った。

一本の長長長長台詞の映画。

なんてことはない彼らの日常が長長長長台詞で描かれる。
それをレオナルド・ディカプリオとブラッド・ピッドが小さなメリハリを作り飽きさせない。
緩く一つの事件に収束していくことを予期させつつも、映画の色はどこか明るく、楽観的。

そして後半からの緊張感がギャップを生む。全てはこの時のための日常だった。
日付は8月9日。変化は明白。

2人と実際の事件が交わる時、タランティーノ監督の思いが炸裂する。

タランティーノ監督、なんて無邪気。
過去作見たくなった。
高楊枝

高楊枝