持て余す

ギャングースの持て余すのレビュー・感想・評価

ギャングース(2018年製作の映画)
3.7
社会の底でダメ人間がもがく話ってなんだかツボなんだよなー。なんでだろう。

『ララピポ』とか『万引き家族』とか『100円の恋(後半は全然ダメじゃないけど)』とか、真人間とは程遠い登場人物をメインに据えた物語の「それでもどっこい生きている」な感じが好きなのだけど、ポイントはそれだけじゃない気もする。当然、アリの巣観察キット的な楽しみでもない。

「人間なんてこの程度のものだ」って笑って言える方が健全だと思う。眉間に皺を寄せて、歯を食いしばって、「まとも」でいることも大事な人間らしさではあると思うけど、ダメだからって駄目じゃないというのを信じたい気持ちがある。

この『ギャングース』の三人の青年たちも社会規範からは外れて、底辺どころかこの国では存在を無視されているような境遇。気のいいやつとは言えるけど、善人とも言いにくいのはもちろん彼らの生業が泥棒だからだ。だけど、決して余裕があるわけでもない彼らが狙うのが、犯罪者ばかりというのは素敵。

原作は疾走感とおとぼけ感のバランスがとても良くて楽しかったし、マンガならではの現実との距離感を活かしていたと思う。一方、この映画は実写で、少しばかり現実との距離感が近いから原作よりは不利な条件だと言える。

これはマンガ原作の実写映画全般に言えることだけど、その距離を測り間違うと、自称マンガファンから「原作レイプ」だなどと、得意げに貶されてしまうんじゃないだろうか。この距離感のバランスこそ実写化の肝だと思う。成功した実写映像化作品は(結果的になのも含めて)これが成功しているのだと思う。

この距離感はなにもマンガ的な表現に寄せるということではなくて、例えば、『カイジ』『青い春』『海街diary』はそれぞれマンガを基にして成功した実写映画(まあ、異論はあると思う)だけど、現実との距離感は全然違う。

特に原作を読んでからという人にとってここは大事で、実写に落とし込んだ時に違和感を感じることなく作品に没入できるかの大きなポイントになるかと思う。映画単体で見ればそれほど悪くない出来でも、比較されることで、瑕になってしまうということだってある。

映画『ギャングース』はそういう意味ではやや不満もあるけれど、成功の部類だと思う。

この物語はコミックの前段としてノンフィクションの書籍があるとのことだから、このままではないにせよ彼らのような生活をしている人物が日本のどこかにいるのだろう。ただ、物語のキャラクターとしてはかなり虚構寄りで現実感は薄い。それを実在の人物が演じるのはある種のハードルがあるけれど、加藤諒や高杉真宙という現実味の薄い容貌の役者が演じることで軽やかに飛び越えている。

特に加藤諒。この俳優の印象はあまり良くなかった。バラエティ番組に出ている時のあの感じが好みじゃなかったし、本業が俳優なのだとすれば、ああしたキャラクター付けは(それがナチュラルだったとしても)足枷にしかならないのが、見ていてモヤモヤしたからだ。それが、この映画での好演でイメージが変わった。

育った環境を含め、「まともな」社会で生きていく規格ではなかったが、性根はキレイな青年──それもやや戯画的に描かれたキャラクターをムリなく演じていて、とても感心した。こういう役者(バラエティ番組での立ち回りはともかくとして)がもっともっと増えてほしい。

最近のハリウッドのように美男美女を排斥する極端な流れは不要だと思うけど、無意味に美男美女ばかりのキャスティングだとやや辟易する。まあ、この映画も加藤諒以外はやたらに美男美女を揃えているので、それはやや不満。林遣都や金子ノブアキ、MIYAVIのあたりは全員とは言わないまでも、男前じゃないキャストでも成立すると思う。

実際、原作漫画では安達も加藤も高田君も特に男前な造作ではないし、そうでなければならない理由もない。キラキラした男前よりも倦んだ表情がサマになる役者だったらもっと良かったかと。これも現実との距離感の問題だと思う。傷とまでは言えないけれど、やや不満。

それでも、根底に流れる「まとも」からこぼれた人間たちの怒りや絶望や渇きは伝わってくるし、もがいた末の落語のようなオチに向けての疾走感はとても心地よい。

楽しかったです。
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