糖

Papers, Please: The Short Film(原題)の糖のネタバレレビュー・内容・結末

4.2

このレビューはネタバレを含みます

原作をプレイしたのは4年ほど前で、今になって映像化されていることを知ったため視聴。

11分の映像ということで一体どこを切り取ったものなのかと気になりつつ見ていくと、セルジュとエリサのイベントで、納得。
エリサを入国させなかった審査官の「大切な誰かを想う」心の動きが、コレチア過激派の夫婦を入国させてしまった。Papers,Pleaseは得てしてそういうきらいがあり、即ち、事後的に見返せば「Aの判断がBの結果を招き、Bの結果がCの判断を招き、Cの判断が招いたDの結果についてもしAの判断を下していたら……」が生じうるものだった。それらの中から、一件の情状酌量が最悪の結果を招くケースを抽出したのが本映像であった。

プレイ時はEZIC関連のイベントをいかにこなすかに集中していたため見落としがちになっていたが、そも短期間に信じられない件数のテロや襲撃が起きていて、審査官の判断はそのファクターになり得るのだ。
今回でいえばエリサを入国させていればセルジュとエリサはどこか別の場所へ行くか、あるいは最期の時をともに過ごすことができたかもしれない。しかしエリサの入国を拒否したことで、結果的に死から彼女を救うことになったとも考えられる。アルストツカ側の三人の生存には夫婦の入国を拒否するか、セルジュ襲撃の前に彼(ら)を撃つか、どちらかの条件が必須になる。しかし今作の審査官は引き出しの銃を手に取らなかった。私は、この選択を倫理的に必ず正しいと判断する。

また原作と本作で審査官のビジュアルが異なっているが、そも同一人物と考える必要はないのではないか。
セルジュとエリサがアルストツカにて再会するとき、そこにいた審査官は原作の審査官である。しかし原作の審査官がそこまでに失職あるいは拘束される可能性も十分に提示されている。
加えて原作と本作をとりまく審査官というポストの交換可能性は幾度にもわたって提示されてきた重要事項である(審査官は労働抽選で決定した、逮捕ののちすぐに他の人間が審査官に就く等)。
つまり審査官は誰でもあり得るなかで、本作のようなパーソナリティ、感受性を有した人物が職に就いていたというこの状況の固有性には、軽んぜられないものがある。

映像作品としての評価に、映像"化"作品としての評価をのせた結果、こうなった。2時間尺でも観てみたい。


アルストツカに栄光あれ。
糖