ケンヤム

クレアのカメラのケンヤムのレビュー・感想・評価

クレアのカメラ(2017年製作の映画)
4.8
ストップモーションで終わる映画が大好きで、だから阪本順治の団地とかすごく好きなのだけれど、ストップモーションで終わるのはすごく勇気のいることのような気がする。
だって、観客にはぁ?意味わかんねーって思考停止させてしまったら映画自体が台無しになってしまうのだから。
中には、ちょっと分からなくなると「意味わからん。よって駄作!!」と思考停止がクセになってしまっているおバカさんもいるだろうけど、ホン・サンスはそんなやつのことは相手にしていないだろうから、おバカさん達のことは放っておこう。
この映画のラストのストップモーションからのズームアップは、主人公が機嫌悪く帰りの支度をしているだけにも関わらず、なにかに見切りをつけた人の清々しさを感じさせる。
それはストップモーションからのズームアップという手法そのものが清々しいからなのかもしれない。
この映画に何回も出てくる言葉「正直」
手法そのものが正直なのだ。
まっすぐで純粋で正直なのだ。
だから、ホン・サンスの映画が好きなのだと思う。
フィックスでしかも長回しで撮りたい俳優と俳優の会話を撮って、ズームしたくなったらズーム、パンしたくなったらパンという具合に手法そのものが正直なのだ。
この映画ではその正直さを象徴するように、ホン・サンスそっくりの俳優が映画監督を演じている。
そして、キムミニに言う。
「お前そんなエロい服着やがって!自分を売り物にして何か得るものあったか!?やめろそんなこと!!」
カンヌでキムミニに言っていると言うことが大事。
このセリフは2016年にカンヌを席巻したパクチャヌクの「お嬢さん」に出演したキムミニへの当てつけだ!
いや、パクチャヌクへの当てつけか。
さすがのホン・サンスもやりすぎたと思ったのか、この当てつけに対して、キムミニにこんなセリフを言わせている。
「あなたは自分を売り物にしたことは?」
そうだ。ホン・サンスに言われたくないよなキムミニも。ホン・サンスほど自分を売り物にしている監督などいないのだから。
けど、それが「正直」ということなんだと思う。
今考えていることをとりあえず「公表してしまう」ということ。
イザベルユペールが劇中に言う「写真を撮るということは唯一自分を変える手段なの」ということはそういうことなんだろうと思う。
自分が思っていることを完全じゃなくても、いや、むしろ不完全だからこそなんらかの形にして発表して返りを待つというような感じで、ものをつくる。
ゴダールは映画はコミューニケーションの手段だと言ったが、それがコミュニケーションなのだと思う。
大衆に向けてつくっているようで、そこのあなたに向けて作られている映画。
ウディアレンとホン・サンスのにているところはそこだと思う。
ウディアレンとホン・サンスが自分のことを語れば語るほど、観客はその物語を自身に置き換えざるを得なくなるというような感じ。
ホン・サンスの映画はキムミニも自分をそこで演じているから、キムミニも自分を語っていることになる。
アニーホールのダイアンキートンのように。
だから、キムミニの去り際に勇気を貰うのだ。
全てを演じることでさらけ出すキムミニの去り際に勇気を貰うのだ。
思えば、ヒュートラで今回上映された4作品全てキムミニの去り際で終わっていた。
四本とも何かに「見切りをつける人」のたくましさを見せつけるような作品だった。
そして、去られる男ホン・サンスを愛でる四作品だった。

支離滅裂、脱線しまくり。クレアのカメラに影響されて思ったことを「正直」に純粋に思うままに書いてみた。
やっぱり難しいな正直になるのって。
ケンヤム

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