持て余す

軽い男じゃないのよの持て余すのネタバレレビュー・内容・結末

軽い男じゃないのよ(2018年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

「ドラえもん」でこういう話あったなー。

かの漫画の基本構造は、のび太(あるいはその周辺の人)の悩みや不満に対して、未来から来たロボットの道具で一旦解消するものの(調子に乗り過ぎたりして)結局ダメになってしまう──というものだけど、子ども向けというのもあって、テーマ性というほどのものでもなく、あくまで娯楽作品としての立場を崩さない。

さて、この「軽い男じゃないのよ」では男女逆転物語の中に娯楽性に加えてテーマ性が盛り込まれている。

SF的な設定はかなりガバガバで、なんでもない柱に当たって逆転現象が起こるのはともかくとして、ただただ男女のおかれる社会的な立場が逆になっているだけで、求められる身だしなみ以外は大して変わらない。こういうところの踏み込みはかなり甘いように感じる。

また、主人公が(たまたま?)プレイボーイだから、環境の変化に戸惑ったりしていたけれど、あの世界で起きている変化はそれほど男にとって過酷な変化には見えない。実際、主人公もなんだかんだ文句を言いながら物語後半ではすっかりあの世界に馴染んでしまっていた。

だから、この映画をもってジェンダーがどうのとか、ミソジニーだのミサンドリーだのと言うのは、少しばかり切迫感が足りない。セクハラ的な表現もあるけれど、主人公が人並みはずれた女好きなので、それほどダメージがない(ように見える)。だから、この映画はそういう映画としても設定が甘い。

テーマ性がなく、それこそ「ドラえもん」のように娯楽作品の向こうにテーマ性が隠されているのならこれでいい。ただ、このフランスの映画では、テーマは隠れていない。表に出して問題提起をするならば、もう少しやりようがあったように感じる。

テーマや設定を活かすために、その辺りを除いたストーリー展開はベタもベタ。男女が入れ替わっていなければ、古くから使い古されてきた、ありきたりで手垢まみれの恋愛映画だ。

新作をなかなか書けないけれど、女癖も悪く浪費癖もある男前の作家が、気が強くなかなかなびかない女を落として作品に落としこもうと画策するが……これの男女逆転版。こんな展開の物語は古今東西に掃いて捨ててもまだ残るぐらいある。設定の奇抜さを活かすためだとしても、もう少し個性が欲しいところだ。

結末の「もう一度逆転現象が起きたのか?」というところも含めて、この映画は少しずつ足りない。

でも、この映画はつまらなくない。つまらないどころか、かなり面白い。なにしろ、マリー=ソフィー・フェルダンという男ったらしの作家役を演じる女優が素晴らしくカッコいい。この人を見るだけでも価値がある。本当に本当にカッコいい。この人の出る映画もっと見たい。ないっぽいけど。

それだけじゃない。

物語の詰め甘さの原因にもなっている「ある種の軽さ」が、作品全体にカラッとしたした明るさを与えているし、テーマによる重さを感じさせない痛快さがある。とても面白かった。

でも、男たちが「オネエ言葉」になっているのは(ひょっとしたら翻訳の都合かもしれないし、男性名詞や女性名詞を活かしたのかもしれないけれど)、不要な感じだと思ったんだよなあ。
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