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ジュディ 虹の彼方にのgnspのレビュー・感想・評価

ジュディ 虹の彼方に(2019年製作の映画)
3.5
エンターテイメントの監獄に縛り付けられ、人生を破壊され、そして堕ちた星。
それでもなお、彼女は最後のささやかな輝きを放とうと足掻く。どこかで待つ人のために。
自分にできることはこれしかないと。


ボラプのように最後にハイになる構成ではあるが、「上がっていって少し下がり、最後は絶頂」だったボラプと異なり、「終始下がりっぱなし、でもその中で生まれたひとときの幸せ」であることがなにより切ない。

全曲自分自身での歌唱は勿論、くたびれた猫背や、不安定なメンタルから来る表情の繊細な歪みをも表現したレネーの演技は圧巻。納得のオスカー。

歌唱シーンは最初はジュディをメインの被写体として追っていくのみ。
それは自分自身しか味方がいない、孤独を感じていたことからであるが、それがどのように変わっていくか。

彼女の不安を煽るビートをそのまま演奏へと転用して場面転換する演出は秀逸だった。


期待される虚構の「ジュディ」に押し潰されそうになるとき、彼女もまた異なる「虚構」に逃れようとする。
それは愛する男と過ごすときでもあるし、仕事仲間と杯を交わすときも。ステージ上の「ジュディ」の呪縛から離れようと行動するが、しかしそれもまた「幸せなジュディ・ガーランド」という虚構に映ってしまい切ない。

そしてそれは幼きあの頃の苦くも甘い監獄に押し込められていた後遺症であることもまた切ない。

彼女が心から救われているように映るのは、ファンのカップルと、子どもたちとの交流のふたつだけ。
前者は完全なる「ジュディ」でありながらも、落ちぶれた自分自身でも全幅の信頼を置いてリスペクトしてくれていたからこそ、ありのままでいられた。後者は単純に一人の「母親」として「ジュディ」を離れられた。
そしてこの両者とも、「無垢」なる存在であり、あの頃の彼女と同じ。だから心を寄せる。
しかしその行動も「自分の母と同じ道は辿らない」と母親としての役目に自覚的ではあるが、それが世間的に正しい方向かとなるとそうではない。それがなお一層切ない。

ただそういった思いがあるのは汲み取れるのだが、それをジュディに「喋らせ」すぎではないかと感じた。
「歌」で観客を楽しませながら自分自身の心情を歌詞に託す形を一貫させてほしかった。
それが出来ていたから最後は素晴らしいシーンになっていただけに。


苦しみを背負おうとも、誰かの苦しみを癒すために生きる。
エンターテイメントを創り出す人々へ、元祖スタァの煌めきを目に焼きつけて、改めてのリスペクトを表したい。
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