CHEBUNBUN

バハールの涙のCHEBUNBUNのレビュー・感想・評価

バハールの涙(2018年製作の映画)
2.0
【L'héroïne était morte...】
カンヌで公開されるや批評家からボロクソ叩かれ、ブンブンの記憶が正しければ東京国際映画祭ディレクターの矢田部さんも難色示していた作品。しかし、日本で公開されるや、賞賛の嵐だ。親友から「あまりに酷かったので観てほしいw」と言われたこともあり新宿ピカデリーで観てきました。

上映前から、ブンブンの近くの席で喧嘩が勃発しており、いきなり戦場!って感じが強い環境で鑑賞しました。

期待値が低かったのもあるが、割と面白かった。ISに息子を奪われたバハールが、《太陽の女たち(Les femmes du soleil)》を形成し、戦う。その様子を眼帯ジャーナリストが迫るというものだ。

ドゥニ・ヴィルヌーヴの『ボーダーライン』を観ているような緊迫感があり、戦争サスペンスとしての見応えはあった。なので、カンヌの酷評は過小評価だと見た。

とはいえこの映画は、まるでオリバー・ストーン映画のように過剰で、過剰なメッセージによって《映画》としての作劇に難があります。

何と言っても、折角眼帯のジャーナリストという魅力的なキャラクターがいるのに、空気と化しているのだ。

その際たる原因は、バハールが何故戦士となったのかの回想パートが乱雑に配置されていることにある。ジャーナリストの取材によって明らかにされているのではなく、バハールが戦いながら思い出す記憶として描かれているのだ。これにより、映画からジャーナリストは不要な存在となってしまいます。では、ジャーナリストは無知な者、指を咥えて戦場を眺めるだけの存在として描いているのか?私にはそうは見えなかった。現にジャーナリストはバハールに「私は語りたいの」と、対話でもって世界に惨劇を伝えようとしているのが強調されているのだ。

しかし、映画の編集は、彼女のジャーナリストとしての側面をぶつ切りにし、中途半端にそこにいる存在としてしか役割を果たしていなかった。

また、女性は差別されている、辛いんだというメッセージを強く押し出す為のセリフがどうも似たり寄ったりで、同じシーンの反復に見えてしまったりして、割と物語的に難がある作品でした。

最近、ソマリランドに潜入調査した高野秀行のリポート『謎の独立国家ソマリランド』を読んでいることもあり、ジャーナリスト周りの描写が気になってしまいました。

まさしく、

L'héroïne était morte...
(ヒロインは死んでいた)

とでも言えよう。
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