みけ

アメリカン・アニマルズのみけのネタバレレビュー・内容・結末

アメリカン・アニマルズ(2018年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

冒頭、クソみたいな盗みをした先に見えたあのキラキラしたなにかが、「何か」を成し遂げたときには周りに満ちるんじゃないか?もしかすると、彼はそれを見せてくれるんじゃないか?そのときに、今の行き詰まり感から解放された「ほんとうの」自分が見つかるのではないか。自分のことばで自分を語れる日が来るのではないか。

そういうことを感じてしまうときって、生きているとときどきある。でもそのキラキラって、あの時代の学生を取り巻く閉塞感の中で生まれた、つかむことはできない美しい幻影なのだと思う。
それは、同じ年に大学に入ってるからか、国は違えどなんとなく共感できる。自転車で日本一周する、みたいな。そういう「何か」をやり遂げることによってそのキラキラを得ようとする、いわゆる「自分探し」が流行ったような時期だった。

「何か」をやってしまったときに見えたのは、ほんとうの自分なんかではない。現実に人を傷つけてしまったということだ。泣き叫ばせて、苦痛を負わせて。失禁までさせてしまった。「ほんとうは、」そうならないはずだったのに。物語なら、スタンガンで一発気絶で、他人の、人間としての尊厳を傷つけるところまでいかなかったはずなのに。

「ほんとうの」犯人の話すことが、人によって揺らぐことがある。だから、それに応じて、同じシーンが複数示されたりする。
なんなら、俳優たちの方が演じていないように見えるし、「ほんとうの」犯人たちや図書館員の方が演技しているように見えることすらある。

この映画は、「ほんとう」ってなんなんだろうということを多重に問いかけてくる。物語と現実の境目を、思い切り揺らがせている。

表現規制に反対する文脈で、「フィクションと現実の区別をつけろ」という言葉を見ることがある。私も以前は同調していた。

しかし、フィクションは現実と関わり合って相互作用を起こすこともある。なので、フィクションと現実は不可分なところもあるのではないか。そもそもノンフィクションとして過去のことを物語るときにその正確性はいかなる方法でも保障できないのではないか。そう考えると、「フィクションと現実の区別をつけろ」と言葉にすることは空虚だ。知っていたけれど、目をそらし続けていた。

観ているときは、うわーーー!!!早くやめてーー!!早く捕まってーーー!!!としか思ってなかったんだけど、観終わってから、そういうことを考えていた。もう一回観たい。

『アメリカの鳥類』は日本の国会図書館にもあるみたいです。
みけ

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