我々が知る戦争とはなんだろうか
インターネットを使えば、その発端となった出来事、経緯、被害、ありとあらゆる情報を得る事ができる
しかしこの映画を観て、自分が知るボスニアの内戦は、整えられた言葉でしかなかったと思い知った
普段当たり前のように使っているものがなくなった時、他国が侵略してきたと報道された時、はたして戦争が始まったと思えるだろうか
愛する弟が血まみれで倒れているのを見た時、自分にとって本当の意味での紛争が始まったと語った青年の言葉が印象に残った
1994年、ブルース達がサラエボで行ったライブには、大きな意味があった
とんとん拍子で決まった話だったそうだが、実際に現地で彼らを待ち受けていたのはまさに映画のように困難な状況だったと言える
用意されているはずの交通手段は絶たれ、ビザは発行されず、国連からは帰れと言われる始末
当時のボスニアの状況を考えれば当然といえば当然だろう
現地で起こりうるあらゆる可能性、危険を説明され、それでもライブを敢行したバンドとスタッフを心より尊敬する
「この映画は俺の映画でも、俺のバンドの映画でもない。サラエボの人達が作った、サラエボの人達の映画だ」
取材の際、ブルースはそう言ったそうだ
彼の真意はまさに映画を観れば伝わってくる
実際この映画には、ブルース達が行ったライブの映像はほとんど使われておらず、大半が当時を知る人々の言葉で構成されている
しかし矛盾するようだが、ブルースとバンドがいなければ、この映画は成り立たなかっただろう
それは、このライブに訪れた人達、関わった人達が抱く彼らへの感情からも見てとれる
この紛争が彼らから奪った日常、心に残したものとは対照的に、このたった1日のライブが取り戻したものには計り知れない価値があるはずだ
「叫べサラエボ!」
映画はステージで放たれたこの言葉で幕を閉じる
戦争の愚かさ、音楽の持つ「何かを変えられるかもしれないと思わせてくれる力」を感じられる素晴らしいドキュメンタリー映画だった