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シャルロット すさびの010101010101010のレビュー・感想・評価

シャルロット すさび(2017年製作の映画)
5.0
近年の日本映画の中でも、最も衝撃を受けた作品のひとつ。
物語は、ごく単純に言えば不倫旅行なのだが、それが思わぬ破格の展開をなしてゆく。
度重なる過剰なイメージ、飛躍、逸脱や切断があるにもかかわらず、この作品がそこいらのアングラやアート志向映画に連なることを逃れているのは、その冒険ファンタジー性やユーモアもさることながら、一貫して論理を超えた強い重力に支えられているからではないか。
その重力の中心を「来るべき倫理」と言い換えてもいい。
その「来たるべき倫理」は、安易に他者とは共有されえぬような、決して癒えることなき「絶対的な悲しみ」を抱えて生きるすべての者を掬い上げようとする。
疎外されしものたち、小さきものたちの生存の権利であり、権力や共同体が押しつけてくる倫理の網の目をかいくぐり、それをあわよくば切断しようと目論む、来たるべき新しい倫理。
その意味で、これは「救済」をめぐる映画である。
シリアスなようでありながら、カラッとしたユーモアや悪戯心がちりばめられており、それらも一体となって理論的な救済の不可能性を突き破ってゆこうとする。

監督の岩名雅記は舞踏家でもある。
彼の映画を見ているといつも、いつしかすぐれた舞踏を観ている時と同じように時間感覚が麻痺して引き延ばされた時の中にいるような不思議な感覚を覚える。
それは、論理や物語などを逸脱した圧倒的な質的世界だ。
救済とは、そのような質的なカタチでしか立ち現れてこないものなのではないか。
そこでは何が起きても不思議ではない。あらゆることが可能なこととなる。
あらゆる離散したものたちが交流し、癒着したものたちを切断させる脱領土的な地平を用意し、また「来たるべき倫理」の開かれは名付けえぬ異形の「来たるべき怪物」をも生むことになるだろう。
だが、そこまで至ってもなお、それぞれの身に刻まれた「絶対的な悲しみ」は手放されるべきではない。
なぜなら、それこそがそれぞれを固有の存在たらしめる証でもあり、また離散された者通しをつなぐよすがともなるからである。