木曳野皐

初恋の木曳野皐のレビュー・感想・評価

初恋(2006年製作の映画)
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「僕は映画みたいにいつの間にか2、3年進んでいるのが嫌いだ、僕はその2、3年が知りたいのに。だから君は“間”について教えてね。」
と誰かが言ったのを覚えている。
その論点で言えばこの映画は正にソレで少し説明不足にも思うそれぞれの関係性。
きっと仲良かったんだろうけどこの尺では描ききれない彼らの“2、3年の憂鬱”。
ちょっと関係性を描いている部分が淡白すぎた。
けれど、この手の話に弱い私はこの誰かが言った台詞を思い出しつつもこの映画が好きだな、と感じる。
ここで言う“この手の話”と言うのは「幼少期から愛に飢えている孤独な者達の話」を指す。
どうしても、“もし普通の家庭に育っていて、普通に愛を与えられていたら”というifを考えてしまってやるせなくなる。
道を踏みはずす事はきっと無かったのかもしれないのに。
皮肉にも若者が犯罪者になる時は、大抵家庭環境だの、親だの、身の回りの生活だの、幼少期のトラウマだの、大人の所為であるのに(稀に全く普通の家庭だったりもするが)そこに全く気付かず一方的に罵るのがみすずや岸達を追い詰めた要因である事には違いないのだ。

「心の傷に時効はあるのだろうか」
という問いに対して私なりに考えた。
そして昨日観た【退屈な日々にさようならを】のレビューを思い出していた。
『時に“知らない”という事実が心の均衡を保つ為に必要な時がある』と。確かに私は昨日、そう思った。
だけどこの映画に関しては“知らない”という事実があまりにも残酷だった。
“死亡”でも無い、“存命”でもない、“消息不明”という四文字にどうしようもなく「知りたい」と願った。
観終わった後にどんよりとした灰色の雲に心を覆われている。
心の傷がもし時効を迎える事があるならば、自分の中で納得出来た場合に限るのだと思う。
傷を癒す、忘れる、とはまた違う難解な問いに出会った。感情の消化不良を起こす。
“もう痛まないけど 治らない傷”


この映画の不思議な点を挙げるのであれば、
・何故他の登場人物は役名で表示されたのに宮崎あおいだけが役名ではなく実名表記だったのか(主人公だから?)
・「寒くないか?」という台詞に対して「ううん」という返事は寒いって事になるのにコートを羽織らせてあげるわけでもなく放置プレイ
ここら辺が気になりました。


単車に乗る宮崎あおい、マジ好き。
中学生~女子大生になるまでの色んな顔の宮崎あおいが観れた万歳。
まだあどけない顔の宮崎あおいが…とか言いたいんだが、マジで今と顔も声も全く変わらん。宮崎あおいはもしかしたら“人間”という類ではなく“宮崎あおい”という生命体なのかもしれない。何言ってんだバカ。
私がもし俳優で宮崎あおいと共演したら100%好きになっちゃうので小出恵介は凄い。(そこ)
今ではるろうに剣心シリーズでお馴染み青木崇高の腹チラが最高にエロかった、卑猥な目で見てすみません。
あと私がもし好きな人に「結婚したら浮気しような」って言われたら間違いなく浮気します。胸張って言っておきます。
木曳野皐

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