- なんもかんもぶっこわれりゃぁいいんじゃぁ
血で血を洗う抗争
際限なく続く復讐の原理
どれだけ血を浴びても決して満たされない”渇き”
正義と悪が入り乱れ、その境界が曖昧になっていく
そして映画は、全ての暴力の始まりである「圧倒的な暴力」の存在を暗示する
それは、どれだけきれいにしようと装ってもいつまでも圧倒的にその爪痕を残し続ける暴力である
悪を、暴力を、闇を、見続けたその先に
描くべき物語が表出する
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ゴリゴリのヤクザ映画がこの時代に爆誕する
前作を遥かに超えるスケール感で描かれる戦いに、終始アドレナリン全開
松坂桃李が、鈴木亮平が、毎熊克也が、斎藤工が、カッコ良すぎる
展開としての面白さに引き込まれ、目を背けそうになる暴力に震え、背後に潜む物語に圧倒される。至高の映画体験である。
チンタの物語に、とにかく引き込まれた。
何より、西野七瀬という存在に、あのバックを背負った役をやらせるのはものすごく意味があることだと思う。チンタと彼女の物語の意味に、そもそも気がつかない人もいるのかもしれないけど、、、
上林、チンタ姉弟のバックに潜む、日本の侵略と破壊の歴史こそ、この暴力の連鎖の引き金ではないか
その存在をどれだけ無視して、暴対法で街をきれいにしても、それは本当にきれいになっているのだろうか?
ヤクザの暴力も警察の不正も到底霞むほどの、圧倒的な暴力の象徴が広島にはあるでないか。
思うと戦後のヤクザは、行き場を無くした復員兵•戦災孤児の流れ着く先でもあったわけで、その意味でこの物語は明らかにその点に自覚的だ。
前作ではあまりなかったその視点が、映画オリジナルである本作では間違いなくある。
白石監督は、その視点を持ち込むことでこのエンタメ映画に鋭い現代批評性を持たせている。
ラストは、上林の救済だったと信じたい。