Yoshishun

GODZILLA 星を喰う者のYoshishunのレビュー・感想・評価

GODZILLA 星を喰う者(2018年製作の映画)
2.4
“結局アニメでやる必要は?”

アニゴジ3部作の最終章。ゴジラ・アースとの闘いの果てにユウコを失ったハルオ。人類は再びゴジラの脅威に晒される中、メトフィエスはかつて母星を滅ぼしたギドラの力を借りることによって、ゴジラの殲滅を模索していた。しかし、それは地球そのものを破壊するに等しい行為であり、真意を知ったハルオはメトフィエスを止めるために奔走する。

3部作の中でも最も酷評の多い問題作ではあるが、確かに本作は酷い。かろうじて前作まであった人類vsゴジラの闘いは完全に排除され、完全に人類はギドラvsゴジラの傍観者となっている。杉田智和演じるマーティン博士や宇宙船の面々は、眼の前の異常事態の解説役に徹し、その度にゴジラとギドラの闘いに水を差すものに。

そもそもゴジラ映画をわざわざアニメで手掛けた目的は、誰も観たことのないゴジラ映画を描きたいためとされていたが、3部作を通してゴジラである必要など微塵も感じさせなかったのが致命的な欠点だろう。宇宙規模で人類の滅亡と再生、宇宙人をも介入するスケールの物語のはずなのに、会話劇に終始徹するわ、ゴジラとギドラら怪獣は相変わらず動きが少なすぎる。邦画実写では困難なSFの世界観をアニメで描くという意味では最適解だが、それにゴジラ映画を無理やりくっつけたに過ぎない。

更に結末としても取って付けたような特攻描写が鼻につく。最近公開された『ゴジラ -1.0』でも同様の描写はあったが、それまでの積み重ねが無いせいで、主人公の自己中さが目立つ。そもそも自己犠牲を払ってまでゴジラを仕留める目的が明確になっておらず、ユウコ含む死人の幻覚もメトフィエスおよびギドラが作り出した妄想の域を出ていないので、それを最後の行動の原理にするのには無理がある。むしろ今を生きるマイナとの子を授かっておきながらも昔の女連れて特攻するハルオにはドン引きするしかない。

数少ない本作の評価点としては、メッセージ性が挙げられる。ゴジラを討伐することは、逆にゴジラ以上の脅威の誕生を意味し、終盤でマーティン博士がガ◯ダムを復活させたことに歓喜していたように、人々を幸福にするはずの技術そのものが文明を脅かす。だからこそメトフィエスは人類および地球の滅亡を望んでいた。これはゴジラが水爆という人類の技術によって生み出された怪物であることを暗示しており、歴代ゴジラ映画以上に技術と文明という面を強調していたように思う。
また、前作までと同様、キャスト陣は特に問題ない。

シリーズファンからも黒歴史扱いされ、アニメならではのゴジラの表現に乏しく、何故アニメ化したのか、そもそもゴジラを登場させる必要があったのか疑問の残る結果となった。この後、『ゴジラSP』というTVシリーズが誕生し、こちらは往年のファンからも支持を集めたそうだが、本作含む3部作の失敗を活かしてのアニメ化だったのだろう。本3部作の完成度はイマイチではあったが、ゴジラ映画としての新たな挑戦としては意味のある作品だったのかもしれない。
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