まぐろさばお

戦慄の絆のまぐろさばおのネタバレレビュー・内容・結末

戦慄の絆(1988年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

マーカス兄弟事件という実話に基づいているのだが(双子の産婦人科がバルビツール中毒になって死体で発見されたのは史実のまま)、そのテーマにはクローネンバーグ節が確かに息づいている。

以下は自分の勝手な感想。

戦慄の絆という邦題はうまいと思った。
双子間の関係をポジティブな「絆」という言葉にネガティブな「戦慄」をつけて両方の色合いも出しているが
よく捉えている。
この映画においても2人は強い絆においてお互い支え合う反面、人を利用することに躊躇のない兄に比べ、優しすぎる弟は常に兄に利用されてきた。また、兄の方が明らかに狡猾で賢いのに比べ、弟は頭の回転も遅く言い訳が下手くそ。よって弟は幼い頃から「兄の真似」をして生きてきた事には多少なりともコンプレックスがありそうだ。

そして更に設定を読み解けば、思えば双子というものは母の子宮のスペースを奪い合うライバル関係であったようにも受け取れる。「バニシング・ツイン」という、妊娠初期に片方が死に子宮に吸収されてしまう現象があるが、「共有するということはまた独占できない」事も同時に意味する。あるハリウッド女優を最初は兄は女遊びとしてシェアするものの、弟が本気で恋をした時、それを独占しようし始めたことによって運命の歯車は狂っていく。

恐ろしいことに子宮の中にいる時からこの兄弟関係は始まっていたのではないかという連続性を描いているように思える。
兄は女性性(≒子宮)というものを自己の欲求のため利用するものであるという志向性が強く(1.幼い時に性行為の練習をさせろと近所の女友達に言い、産婦人科業も 2.いい女を釣るための出会いの場、3. 社会的成功をしたいための手段となっている。)

一方で、弟にとって女性性(≒子宮≒母なるもの)は、羊水もスペースもへその緒からの栄養も母の愛も、全てをシェアしなくてはならない尊いもので独占できぬものであり常に臆病に女性を遠ざけ、誠実に産婦人科手術を行い女性を治療することに価値を見出し、医学生時代にもらった純金の器具は彼の誇りでもあった。

そのため女優が好きになっても独占するという事が自然に上手く出来ない、あるいは、その喜びを一度知ってしまえば独占したものを失って元に戻ってしまうことに返って強烈な恐怖を覚えるようになってしまう。

その事で次第に弟の中での女性性(≒子宮)が呪わしいものへと変わっていく。「子宮というもののメカニズム自体がおかしいから自分のような双子が生まれ、私は不幸にならざるをえなかったのだ」という偏執的なミソジニーな憎悪へつながっていき、呪いの新器具を作り始めることになる。そして悲劇は起こる・・。

最後に、もう一つ注目したいのは、その女優の子宮口が3つあるという謎めいた設定である。もし双子にとって運命的な女性だったという意味であれば、2つでも良かったはずだ。ところが1つ多く設定されているところがクローネンバーグらしい含みがあるのだろうと思っている。
兄弟と女優自身も含んだ3人にとっての理想郷という意味なのだろうか、それとも強きもの(兄)、弱気もの(弟)と別にもう1人映画に登場しないその中間的な子供こそ「善き人」であるという願望なのだろうか。謎は深まるばかりだが、しっかりとクローネンバーグ節のきいた傑作に違いないと感じた。