まぬままおま

さよならくちびるのまぬままおまのレビュー・感想・評価

さよならくちびる(2019年製作の映画)
4.3
約束破りの幸せ。

全国ツアーを終えたら解散することにした女性ギター「ハルレオ」のロードムービー。
ハル演じる門脇麦とレオ演じる小松菜奈は可愛いし、付き人のシマ演じる成田凌もかっこいい。この3人をみれるだけで十分満足な作品。

アーティストの解散話はよくあることだが、その原因に決定的な出来事があるのは少ないことだろう。「なんとなく」が続いて惰性で活動する終わりなき終わりに、とりあえずの終止符を打つため解散するのが実情なのだろう。その「なんとなく」はハルの向上心のなさやレオの男に対する奔放さとそれに対する相手への不満の積み重ねで描かれている。レオがツアー途中によったガソリンスタンドで名も知らぬ男について行ってしまう展開には痺れた。

彼女らは「なんとなく」生きて活動をしているが、思うところはある。
車内での喫煙と飲食の禁止は、ハルが煙草を吸い、レオがハンバーガーを食べることで平然と破られる。これほどに二人の関係は破綻しているが、無関心ではない。むしろお互いに関心はあるが、互いの発言や行動、気持ちに反発するからこそ喧嘩が起こり、解決の困難さが「なんとなく」になり、解散を帰結させることになるだろう。
レオはツアー初日、上述のように、名も知らぬ男について行き会場に遅れてやってくる。そして開演が大幅に遅れたことに謝りもせずトイレに行く。ハルは怒るわけではないがーそれも問題だー、気にかけレオの元へいくと、レオはハルにブレスレットを贈るのだ。それはお詫びの品でもなく、ツアー初日の大事な日だからではない。その日がハルの誕生日であり、ハルがレオにデュオを組むために声をかけた日であり、彼女らにとってあまりに個人的な「大事な日」であったためだからである。レオのハルに謝らず贈り物をする行動は、一見不可解に思えるが、理解できるものであり素晴らしい描写だと思った。嫌だと思える相手にも愛情はあるし、複雑な心情を人間は抱えているのがよく分かる。そしてだからこそ、関係の修復も可能なのだ。

約束とは何か。それは約束を交わす人々がよりよく生きるための取り決めだと思う。ハルレオが「解散」を約束するのも二人が別々の人生を歩むことでよりよく生きるためである。だが約束は口に出されたり、明文化されることで意識されることになる。それが約束の効力ではあるのだが、逆説的なことも起こってしまう。それはなぜ約束をするにいたったのか過去を振り返ることである。
ハルレオは「解散」を約束した。それは彼女らの事情を考えれば必然なのかもしれない。しかしその「何となく」の事情を振り返れば、「大事な日」が意識に浮上する。結成を約束した日や二人でギターを練習した日を、レオがカレーを食べて泣いた日や路上で懸命に歌った日を。本作で突如としてそして鮮やかに描かれる回想シーンはそういうことである。そして彼女らの回想は、約束遂行までのノスタルジーではなく、むしろ約束破りの力になっていくのである。

解散の約束の意識化は、過去を振り返るとともに関係を見直すことにもつながっていく。ハルレオには「グループ内恋愛の禁止」も約束されている。この約束はグループ活動をよりよくするためのものではあるが、三角関係を生み破綻へのリスクにもなっている。彼女らはセリフやアクションでドラマティックにリスクを乗り越えるわけではない。だが彼女らは彼女らの時間の中で、互いを「大事な人」とハルレオを「大事なユニット」と見直していくのである。

全国ツアーを終えて、ハルレオは分かれて帰路に向かう。しかし合流する。車に乗って、ハルは煙草を吸い、レオはビールを飲む。車内の約束も破られ、解散の約束も破られた。しかし約束を破った彼女らは幸せそうなのである。

約束を守るのは大事である。しかし約束を守ろうとすればするほど、破ることにつながるのであれば、振り返られた「大事なこと」を抱えて、その破れた未来を生きるのが幸せなことだと思う。「たちまち嵐」の歌がこだまする。
「根拠もない 足跡もない 紡いだ言葉もそれほどないけれど ついておいで きっとこの先も嵐は必ず来るが大丈夫さ」