木曳野皐

凪待ちの木曳野皐のレビュー・感想・評価

凪待ち(2019年製作の映画)
-

俺はどうしようもないろくでなしです。

私もどうしようもないろくでなしです。
全く方向性の違うろくでなしではあるけど、(ギャンブルと酒はしないから)何故か痛い程分かってしまう。
私と一緒にいるとろくな事にならないから、自分は不幸を呼んでしまうから、そうやって一方的に突き放した関係が今までいくつもあって、そうやって人は人から離れていく。私の周りの人間関係はどうしようも無く面倒くさくて、考える事を放棄し、話し合う事を放棄し、人なんて信じて生きたもんの負けだと思う割に、私は人を信じたい気持ちを捨てられずにもう21歳になる。若いからまだ遅くないよとかそんな綺麗事は要らない。分かり合う事自体はそれ程大切ではなく、そうじゃなくて、個々に存在する意見や価値観を受け入れる事。それが何よりも分かり合うっていう最終地点に辿り着くのだと思った。分からなくても否定しない。分からなくても突き放さない。そうやって繰り返していくうちにいつの間にかこの人はこういう人なんだと自分で噛み砕いて受け入れる事が出来る。そんなもんだと。
この前ちょうど友達と親子の在り方についてぶつかりました。
私は母の顔さえ知らない。
友達は両親がいるけど、 母は死んでも何も思えないくらいだから要らない。
でもこれって話してる土俵がまるで違くて、多分その友達は「母がいなくても別にそんなに大したことじゃないよ」って慰めたかったんだと思うんだけど、まぁ言葉下手な友達で。
“存在が無くなること”と“存在を知らないこと”ってのは似たようで全くの違う意味なんですよね。だから違う土俵でどれだけ張り合っても話し合ってもそりゃふたりの意見が交わる事なんて絶対に無くて。
ただ、でもそうやって相手の持つ意思や意見を知れる存在だ、って事に私はもっと感謝して生きるべきなのかもしれない、と考えました。
人と話すのはそりゃ日常茶飯事なんだけど、人と語るってのは仲良くなったり共通の何かが存在しないと絶対無理な事で、私はもっと他人の意見や価値観を受け入れて一方的に離れる事がもう無いようにしないと、ってこの映画を観ながらぼんやりと考えました。

劇中の郁男くんは、不器用で不恰好。本当に“ろくでなしの成り方”みたいな本があったら真っ先に主人公として選ばれるであろうろくでなしのお手本のような人で。
でもろくでなしだけど、優しくて、ただその優しさを生かす方法とか表し方を知らないような人で。見ていてむず痒いと言うか…
ろくでなしなりに、手を伸ばそうとした場面がいくつかあるのに、結局救いきれない指の間から零れ落ちる感が本当に見ていて辛い。
劇中、殺人事件が起こったけどサスペンスやミステリー要素はまるで無く、ただひたすら“郁男の人生録”として映されます。
それがまた凄く好きでした、だって私が気になったのは郁男の人生で犯人じゃなかったから。
邦画ならではの蔓延る暗さや、その暗さの中での僅かな光ってやっぱり良いよねぇ。
寒いから温かく感じられるんですよ、サンサン照ってるところじゃ、僅かな光なんて足しにもならん。


リリーフランキー目当てで観たんですが、【凶悪】と違い、割と初っ端から出てきてくれて助かりました。マジで凶悪観てた時「ほんとにリリーフランキー出演してるんか?」って思うくらいには焦らされたので(笑)
正直「主演 香取慎吾」の所為で観るのが遅れました。うーん、香取くんがシュールな役どころしてるなぁ、うーん、、、って。
明るい香取慎吾しか知らんし。
まぁ香取にした意味までは分からなかったものの、やはり香取慎吾と言う人間の持つオーラは凄いものだなと再認識しました!
そりゃ元トップアイドルですもの、廃れないわ!!!
木曳野皐

木曳野皐