このレビューはネタバレを含みます
【子供の存在がちらつく】
原作挫折(笑)
で、どうせ駄作だろうと思っていたら、
思いのほか、良かった。
音楽、風景と、
オサレな雰囲気が、福山雅治と石田ゆり子の気怠さを背負う美しさに非常にマッチしていた。
お二人とも演技も上手かった。
特に、アップに耐える演技が多く、
滲み出る中年さが、この作品を純愛だけにとどまらせず、ねっとりとするような執着を見せつけた。
それだけに、
演技と演技を繋ぐ行間、出来事と出来事を繋ぐ行間が、ひどく雑で、
このお二人の演技に共感する機会を奪っているように思えた。
まず、薪野が、小峰に惹かれていく過程がない。
『恋人まで野距離』のような、
一夜をひたすら話し続けるような場面がなく、突然な感じが拭えない。
薪野がマネージャーである妻に、
ハメられていたと気付いた時も、
一体、この夫婦はどうやって修復したのかと。そもそも、薪野が、あのマネージャーと結婚するかね?
マネージャーである妻が、コンサートの前にカミングアウトするのも、意味不明だったし、薪野がどうやって、乗り越えたのかも、よく分からなかった。
大事な変化の過程は、省かれて、
違和感の人間関係だけが残るのだ。
ラストシーン、石田さんの振り返っての表情が、光る。
けれど、頭によぎるのは、
お互いそれぞれの子供達の存在。
自分たちの愛のために犠牲にするというのだろうか。
ラストの笑顔は、何を選択しての笑顔なのだろうか。
スレ違い純愛のラスト、幼い子供達の笑顔を犠牲にしてのものならば、
やはり、とても、稚拙で幼稚な愛に成り下がる。
もっと言うならば、真相を知った薪野が、怒りに震えるシーンは、福山雅治の名演技だったと思う。
ならば、連絡が途絶えた時に、もっと連絡をとり、絡まった糸をほぐすべきだった。幼稚な自己陶酔と自己完結の末、
互いにシングルだという絶好の機会を逃したに過ぎない。
この2人がどんな風に転がっても、子供たちの存在が後味悪く残る。
あの時、2人が思いを伝えあっていたら、この子供達は生まれていないワケだし、
最後、2人がくっついても、この子供達はどうなるんだ?とも思うし、
最後、この2人が別れても、今の夫婦関係が維持されるのも何か違和感だし。
どうしても、子供達が、頭に残ってしまう。
子供がいない展開なら。お互いに結婚していなかったら。
大人の純愛として、素敵に終わったような気がするが。まぁ、これが現実ということか。
結局のところ、大人の純愛とは程遠く、子供じみた、欲望を優先する恋愛であると気付いた。
お洒落な音楽とお洒落な風景に隠されていたのは、ねっとりとした執着。
それが、この作品の真髄なのかも知れない。