shimiyo1024

マチネの終わりにのshimiyo1024のレビュー・感想・評価

マチネの終わりに(2019年製作の映画)
3.2
what the hell is this

早苗が超展開しだしてからの早苗の存在が、その風合いが、映画全体に望まれ得たそれとあまりにもコンフリクトしている、彼女が画面に存在してなお映画のマチエールは変わらず、とりわけ依然として態度を変えない劇伴も、感情の置き所を惑わせるのに大きく寄与する
(そのあまりにもヤバい存在があの物語に存在し続けることを想起し、脳裏に残っているだけで、私は決して、エンディングに至っても、カタルシスを感じ得ない、劇場ですすり泣いていた人たち大丈夫か?)

ついでにいうとイェルコ監督の『幸福の硬貨』、人物の年齢から推測すると、80年代半ば?ぐらいのものと思われるが、そこからするとあの架空のビジュアルは割とよくできていると思った、しかしその楽曲は、シネフィル的な風合いさえもイメージできるほどに、巧く架空された作品なら尚更、それにそぐうリアリティを欠いているように思われた、クラシカルな、あえて言えば高尚な語法でなく、かなりポップス的語法に依るものであったと思う(これはこの曲の質自体を低く評するものではない)
そこにはもちろん、この物語を、映画を現代の大衆に、マーケティング的にも訴求するための要請があるのは当然であろうが…
そしてエンディングに近づくにつれ、劇伴にも安定安心この上ない現代的、ポップス的語法が色濃くなっていくのも、以下に関わるのだが→

こういったコンフリクトは、映画全体に通底して感じたが、高尚さと通俗性のコンフリクトといえまいか?
あくまで表現面で目指してる日本映画離れした —とはいえ個人的には日本映画にしてはやるね(©︎ビショップ)留まりと思うが— 高尚さと、それにそぐわない部分、時には技術的に大して巧くないのでは?という部分の違和が際立ってしまう、例えばテロ絡みのシーンであるとか…

そもそも平野氏の小説は読んだことがなく、勝手な思い込みだったが、全然通俗小説の人なんだ!というのがまず大きな驚きだった
いや、これにとどまらぬ幅広い作風なのかもだし、原作は映画において現れたコンフリクトなしに表現せしめられ、文壇でもある程度は通俗から離れたイメージを持って受け入れられているのかもしれないのだが、その辺りの無知をお許しください(誰か実際のところを教えてください)

とか色々言いつつ、未来が過去を事後的に変えてしまう、というテーマ、そのロマンティシズム自体は、私も非常に感じ入るところである…
が、しかし、私には、本作におけるそのテーマの原動力となり、物語を具現化する、早苗の存在が、その存在の歪さこそが、この映画をおかしなものにしている、そのことがすべてを差し置いて畏ろしく、この映画はいったい何だったんだ…という動揺が、私の心を支配してやまない。

あと、伊勢谷友介が非常にそれっぽくて役者では一番グッと来ました。
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