Ayako

マチネの終わりにのAyakoのネタバレレビュー・内容・結末

マチネの終わりに(2019年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

原作本を読んでから見た映画化作品は、ついつい原作と比べてしまいがちですが、本作は素直に目の前の映像世界に没頭できた数少ない作品の一つです。

おそらくその理由としては、キャスティングに違和感がなかったこと・映画化にあたり、多少のアレンジはあったものの、それは、原作本で核を成している要素を映画というある種制約のある表現方法で無理なく伝えるためになされたもので物語の本質的な部分が原作からぶれていないことの2点からかなと思います。

キャスティングですが、まず主役の福山雅治と石田ゆり子。天才ギタリストという役は、月並みな表現ですが本格的に歌手・俳優としてのキャリアがある彼だからこそ表現出来たと思うし、マネージャー三谷との独特な距離感も出せたのかなと。(信頼しきって全てを任せきっている一方で、あくまで仕事上の関係としか蒔野自身は思っておらず、三谷が好意を寄せていることは気づいていないというか、気づかないふりをしているみたいな。)一方、最初、大和撫子・和風美人なイメージがあった石田ゆり子が洋子役と聞き、あまり想像がつかなかったけれど、実際に映画を見てみてさらりとパリやニューヨークの街並みに溶け込んでいる様をみて納得しました。

彼らの周辺人物でいくと、レコード会社の是永役の板谷由夏。テレビドラマでもバリバリ仕事をこなす姉御肌なイメージがあり、今回の是永の役もぴったりだなと。出てくるシーンはとっても限られているけれど、洋子と蒔野を数奇な巡り合わせを幾度となくつくる重要人物として、程よい登場感で出ている印象。あと、あえてもう一人あげるのなら、蒔野のマネージャー役の桜井ユキ。惹かれ合う二人を引き裂き、運命を翻弄する、ある種の悪役的な存在なんだけれど、主人公2人よりも若いことからくる真っ直ぐさ・蒔野に対して抱く想いの強さ・彼を脇役として支えたいけれども、せめて家庭という舞台では準主演を演じたい女心からどこか憎みきれず同情心を抱いてしまうような演技が印象に残りました。(だからこそ、NYで洋子と蒔野に過去の自分の罪を打ち明けたあとも、蒔野が家庭に留まるという展開を違和感なくさせているのかも。)

洋子の中東での駐在の話はパリでのテロ事件に代替されていたり、多少の設定の違いはあれど、運命の出会いをどこかで確信しながら、数奇なすれ違いに翻弄され続ける大人の恋愛を描いた、どこか切ないけれど何故か安心感のある美しい作品に原作・映画ともになっていると思います。

ラストも最後まで描ききらず、ようやく再会を果たす二人がそのあとどのような人生を歩むのかというところに余韻があるのもまた趣があっていいと思います。(変に続編を匂わせるわけでもなく、純粋に読むもの、見るものに解釈の自由を与えるという意味で。)似たような作品でビフォア・サンライズシリーズが好きな身からすると、ハッピーエンドを期待するところですが、日本作品かつ蒔野のような義理堅さのある男が嫁に促されるままに家庭を捨て切れるとも思えず・・・。見たときの気分や雰囲気で二人のその後の見え方も変わってくるかもしれません。

会ったのはたった3回の最愛の人。現実ばなれしているけれど、ロマンチックに感じてしまうのは、やっぱりどこかで運命の出会いを信じてしまっていたり、なにか絶対的な存在を求めてしまう人の性なのでしょうか。

「個人的なメモ」
ー本と映画それぞれに表現の幅の自由があり、相互補完的?
 本だと、台詞としては語らせられない要素を、心情として伝える事が
 でき、映像で表しきれない繊細な心情なり複雑な心境を細かく伝える事は
 できる。映像のほうが、視角・聴覚の情報の両方があり、その空間に入り
 込みやすい、一方細かい心情の変化などは役者の表情なりを拠り所にする
 ため、文字よりも伝わりにくい側面もある。
ー悪役って憎くてしょうがない方がいいのか、それともどこか憎みきれない愛嬌なり、同情を誘う何かがあるほうが惹きつけられるのか?
Ayako

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