しげのかいり

砂塵のしげのかいりのレビュー・感想・評価

砂塵(1939年製作の映画)
3.0
ジェームズ・スチュアートが演じる新米保安官が学級崩壊したみたいなヤンキーの溜まり場になっている街に赴任する話なのだが、そこで彼は「法と秩序」の重要性を説いているが、ほぼ「法と秩序(暴力)」みたいになっていて、結局は悪人を鉄砲と鉄拳制裁でぶちのめす話になっている。高低差を利用したラストは冒頭にあるものを投げるコメディ要素とかけているに違いないが、あまり有効とはいえない。階段を使うことに対する緊張感に欠けており、なにより移動のショットが単なる移動であって、背景にある街を含めた風景は風景でしかない。最も本作のアキレス腱は「吹っ切れてない」店にある。オープニング明け、酒場に入る馬が撮られており好感を持てたが、しかし本格的に馬が酒場に入ることはない。ここは『砂に埋もれる』でハリーケリーが行ったような馬に跨りベットにまで押しかける大胆さこそ求められる。

酒場においても吹っ切れてない点は見てとれる。踊ること、騒ぐことを表現する際に、本作で特徴的に使われているのは「饒舌」「踊り」「歌」あたりだが、ここらへんのタームが説話の流れとうまく噛み合っていない。だから話を進めるために饒舌が導入され、バストショットは互いに会話していることを表現するためだけに用いられる。大広間の酒場である以上、踊りをどのように使うのかはこちらを気にするところだが、踊りは踊りでしかなく、ラストの大乱闘も芋洗のような様相を呈しており、女たちの暴動というなら、そこは踊りと同じ旋律で撮って欲しかった。映画におけるスペクタクルの緊張感は、なにも視覚的に派手なだけではあるまい。視線や芝居の付け方によって、驚くべき傑作に変貌することは稀ではない。その点でこれらの難点は演出家の問題。つまり監督の責任と言わざるを得ないだろう。
 本作は決定的にホークスに影響を受けており、そこはヒロインと主人公のマッチとタバコのシーンでも明瞭に理解できる。だから全くダメな映画とはわたしはいえず、この作品が持っているホークスとの連帯を感じないわけにはいかないが、であるならばラストに特徴的な表現力、演出の甘さは見過ごせない