ほのか

ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語のほのかのレビュー・感想・評価

4.0
学生の頃、教室の後ろにある小説から選ぶのはいつも赤毛のアンか大草原の小さな家だったなぁ。
何故か若草物語は手に取る気になれず、この2つばかりを読んでた。
ので、これがわたしの初めての若草物語。
邦題はぶん殴りたくなるほどダサくて口に出したくないですね、本当に。



予告で「どうしようもなく孤独なの」と泣きそうな顔をしながら訴えるジョーにわたしもいつも泣きそうだったから、ジョーがそうじゃないと思うが故に固執してた結婚が全てだという視点をどう乗り越えるのかに注目してしまっていたけど、他人と自分から押し付けられる理想という殻を破るのがジョーだけじゃなかったことがとても嬉しい誤算だった。
ジョーの結婚をしないという自分との決め事で言えば、その考えを持つことをやめるのではなく、その考えに固執することをやめていたのがよかったなあ。
愛されたいから結婚したいのではなく、愛してるから結婚するのはちょっと短絡的かなと思うけれど、それは物語の方であって、この物語を紡ぐジョーの人生としてはまだ結婚には至らなかったもんね。
苦しく辛かった結婚に縛られること以外の人生の目的の基盤をしっかり築けるだけの才能が自分にはあると、自分を信じ切り、努力をして本当に築くことができていたから、次のステージに進めていた。
ちゃんと人生歩んでて凄い…。
挫折しかけてる人間にはこの最後眩しすぎて少し辛くもある……。


4姉妹にもローリーにもそれぞれに理想があって夢があって嫉妬があって葛藤があって挫折がある。
他人を見て、自分を振り返っては本当にこのままでいいのかって考えてしまう。
そんな時ほど隣の芝は青いし楽そうに見えるし羨ましいところしか見えない。
それに比べて自分は…って考えが自分の足を引っ張る。
立ち止まって誰かが助けてくれるのを震えて待ちたいけれど、そんな都合のいい人も言葉も大抵現れないもんで、結局自分の背中を蹴飛ばすのは自分。
他人に助けを求められる自分と、他人の言葉を素直に聞き入れられる自分と、ひとつの物事に固執しすぎずない自分なんだと思う。








これを観たすぐあとに君の名前で僕を呼んでを観た。
馬鹿丸出しで恥ずかしいことを告白しますが、実はもう4回も観てる(何故)のに初めてラストのお父さんの台詞の意味がちゃんと全てわかったような気がしました。

「ひとの心と肉体はたった一度しか与えられないものなんだ。
そして、そのことに気づく前に心は擦り切れてしまう。
今はただ悲しく辛いだろう。
だが、それを葬ってはいけない。
お前が感じた喜びをその痛みとともに葬ってはいけない」

4回も観てるとさすがに小さな機敏の意味や、振る舞いや行いがどうのちの喜びや後悔に繋がるかが手に取るようにわかる。それがわかるのが"物語"で、わからないのが"人生"なのだと思う。
わからなくて、ただただ痛い。痛いから捨ててしまいたい。いい思い出ごと捨てて前に進みたい。
けど、すぐにとはいかなくても、楽しかったものも辛かったものも全ての思い出を受け入れることができる日はきっとくる、と信じて捨てずにいることはできる。痛みは自分を傷つけ続けるためではなく、さらに心が肥えたひとで在る為に受け入れられる日がきっとくる。
後悔のない人生なんて、間違いのない人生なんてあり得ないのだから。ならば傷がついた自分も受け入れて然るべきであることに気づくことができればいい。



過去の自分の意見と今の自分の意見が全く違うことがある。矛盾があることもある。だけれど、そのことは自分が成長した証でもある。過去の自分の意見を否定するような意見を持つことは悪いことではない。さらに言うなれば、違う意見を持っていた過去の自分のおかげで今の意見を持った自分がいるのかもしれないのだから、過去の自分を否定することもない。
これはどこかしらでみた受け売りやけど、本当にその通りだなと思った。
許しと許容は他人だけではなく自分に対しても持つべき余裕なんだなとつくづくそう思う。