塩故障

ラ・ポワント・クールトの塩故障のネタバレレビュー・内容・結末

ラ・ポワント・クールト(1955年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

 風にたなびくシーツ、地域の舟祭り、ダンス・ダンス・ダンス。これらの一瞬を切り抜いたとして、その全ての美しさが十全に発揮されることはないだろう。そこにおいては、時間の経過が重要なのだ。映画が"動く画の芸術"、ひいては"時間芸術"なのだと改めて認識させられる。
 そして、ポワント・クールトに生きる人々の生活と、権力との相克を真摯に描述しようとしている点も評価できる。それがたとえ、間接的な形であり、また多少のグラモライズ、あるいはデグラモライズが含まれていたとしても。
 あぁ、付け加えておくとするならば、何より印象的だったのは、猫の水死体を映すシーン。そこには、愛玩動物として親しみの深い猫の姿をただアイコニックに消費する、現代における我々の価値感覚とはかけ離れた、何か"根が降りたモノ"があった。猫は勝手に生を受け、勝手に起き臥し、勝手に死ぬ。それは、敵でもなければ、同胞でもない。完璧な他者としての在り方。その街に暮らす彼らはある意味で、彼ら自体がひとつの大きな共同体であり、そして他方では個々人が独立した一個の自己である。そういうような、思考術や観念がその街に生きる彼らには根付いていたハズだし(一方では街と社会の相克や、村社会の強い結びつき、他方では他人の目を気にするようなところもある)、この猫の水死体のカットは、この街に生きる彼らの、もとい何かよりもっと大きい括りの、パラダイム的な感覚を実直に反映していたと思う。こういう演出をやってのけてしまう勇気も物凄い。勿論、ここでいう勇気とは、単に残酷なモノを映すということだけに留まらず、そういう演出が持つ"強い意味"に絆されない推進力を作品中に落としこめるのか、いや、落とし込んで見せよう、と英断したこと。何故って、そういうシーンはあまりに説得力を持ち過ぎるし、それに独立して全体のリズムを壊すだけの威力も持ち合わせているから。
 影の演出も凄かった。影の使い方。モノクロームだからより効果的に演出できたことでもあったのだろうし、なにより、シーツの影を映すシーンの、視線の誘導は巧みだった。
 それでも、撮影技術は多少、拙い部分もあったように思われる。おや? と思ったシーンもあったような気はする。まぁ時代的に仕方ないところもあったのだろうし、それに全体的に見ると、そういう些末な部分は全然、気にならないくらい、ひたすらに画が美しい。
 ヌーヴェル・ヴァーグの出発点になった作品だというのも頷けるような、まさに画の美しさが先陣を切る作品だった。変な切り返しとかまさにその匂いがしたね。アニエス・ヴァルダの他の作品もdigってみたくなった。面白かった、良い映画だね。
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