救済P

コードギアス 復活のルルーシュの救済Pのネタバレレビュー・内容・結末

4.4

このレビューはネタバレを含みます

誰が何と言おうと神映画

わかる。批判があることもわかる。
せっかくテレビアニメ版で綺麗に終わったのに復活せんでも…ルルーシュのこんな姿見たくなかった…ルルーシュ絶対身バレするだろ…わかる。わかるけど

もうええ、聞こえんねん。もうそういうのいい。もうええからそういうの。
そういうなんか完璧を求める?みたいなのもうええて。
もう、ええて。

とにかく嬉しい。冒頭、C.C.が民族衣装っぽい姿に身を包んで旅をしていることがうかがえる。もう嬉しい。C.C.に、もう一度会える。それだけで嬉しいのに旅て。

旅て

部屋でゴロゴロして片付けもままならなかったピザ女がガスバーナーに灯をともして料理をしている。人の、世話をしている。あのC.C.が、人のために「生活」をしている。死を求めることにしか生きる意味を見出せなかったC.C.が、リュックを背負い、飯を作り、鼻血を出して、誰かのために生きようとしている。もうこの時点でめちゃくちゃ嬉しい。C.C.が生きようとしていることがこんなにも嬉しい。じゃあもうええやんそれで。じゃあもう正解やん。C.C.が生きようとするのなんかルルーシュのためしかないやん。じゃあ復活して正解やろ!!!!!!!!

もうね、冒頭10分ちょいで「嬉しさ」がお気持ちを上回ってしまっとんのよ。ルルーシュの下にC.C.と、小夜子と、カレンと、ロイドさんが集まって、幾度となく殺し合いをしてきた彼らがルルーシュを中心に集まっている。これが嬉しくないわけないやろ!!!!!!!!!!!!!!!
ロイドさんて
ロイドさんて

ロイドさんて

小夜子さんとロイドさんて、もう、ちょっと、嬉しすぎるでしょさすがに。これ嬉しくないは無理でしょ。
C.C.、カレン、小夜子さん、ロイドさんが共闘して嬉しくないは無理でしょ。

ぼくの考えた最強の晩御飯やもんな。ピザ、ステーキ、お寿司、コーラみたいな。これで嬉しくない無理やもんな。これで「え~野菜ないの~」「カロリーとか気にしたことなさそう(笑)」「ガキしか喜ばんやろjk」みたいなこと言うてくるやつこのパーティーに要らんしな。マジで。そもそも呼ばんけどそんなやつ。
ピザ、ステーキ、お寿司、コーラ並べられて斜に構えてんじゃねーよ!!

心に正直になったら嬉しいんだってこんなの。嬉しいに決まってんの。これが嬉しくなかったらもうそれってお前の生き方のほうがなんかおかしいの。文化祭を楽しめずに教室で寝たふりしてる俺マジかわいそでかっけーみたいな倒錯した気持ちよさに酔いしれちゃってんの。お前はそろそろ酔いを醒まして心に正直にならんとあかんの。
したらな、もう一度曇りなき眼で見てみよ。

C.C.、カレン、小夜子、ロイド ←←←←← 嬉しすぎッッ!!!!!

ルルーシュのカッコよさを最大限まで引き出すためにナナリーを攫わせることでヴィランをわかりやすく悪にしている点も凄い。かつての善悪が表裏一体となったルルーシュの背徳的な美しさは影を潜めているが、その代わりに現れた一人の妹の兄として仲間を集め力を奮うルルーシュ・ランページの姿を見たくなかったわけがない。テレビアニメ版があったからこそ生まれたルルーシュの新たな側面、というよりもは、ギアスに魅入られる前の、純真なルルーシュの純粋な力の発露は、黒の騎士団CEOでも神聖ブリタニア帝国皇帝でもない、どこにでもいる兄妹の普遍的な愛情だ。特殊があって、はじめて普遍が輝く。悪逆皇帝ルルーシュは物語の主人公としてあまりにも特殊な存在だったが、そんな彼が普遍的な愛を取り戻し、仲間を信じて戦う時、その輝きはあまりにも大きい。これを輝き方が違うだなんだといって非難する輩がいるとするならば、それは妄信だろう。

ルルーシュが非道の限りを尽くしてきたことに嘘はないが、映画中盤で彼の下に人々が集まってしまうのは、結局のところ彼が信用されているからだろう。スザクが、コーネリアが、ジェレミアが、アーニャが、ギルフォードが、扇が、セシルが、ニーナが、一度は死ぬほどルルーシュを憎んだであろう人たちが、しかし彼のカリスマと、ひと時の平和を実現してみせた実績をもってして信頼してしまっているからだ。「君がいない世界は思っていたよりずっと孤独だった」、ルルーシュの死を誰よりも強い覚悟で受け入れたはずのスザクですらこう漏らしてしまうのは、奇妙な形ではあるがある種ルルーシュという現象を愛し、復活を願ってしまっているからに他ならない。

絶対遵守のギアスを持つ復活したルルーシュの敵としてシャムナは申し分ない。「死に戻りの力と敵対した時、如何なる戦術を立てればよいのか」、6時間という制約が課せられているものの、反則的な強さから本来主人公にしか許されないはずの死に戻りをどのようにして攻略すればよいのかという問いに対して一つのアンサーを示してみせたゼロの戦術はテレビアニメ版とはまさしく別次元の戦いだった。からめ手でありながら、非常に映画的でもある。コードギアスではあり得なかった戦いだが、どこかコードギアス的でもある。まさしく”絶妙”なゲームメイクだ。

つまらない最後を迎える良い映画はありえない。ナナリーを助けるために人生を賭したルルーシュだったが、ナナリーと共に生きる道を捨て、C.C.との旅を選ぶ。嬉しすぎるだろ。
かつてC.C.は一度ルルーシュに本名を呼ばれ、歓喜に打ち震えていた。C.C.にとって本名とは、王の力によって孤独となってしまった世界と己を繋ぐたった一つの忘れ形見に他ならない。本名を捨て、L.L.と名乗ったルルーシュは、期せずしてC.C.と世界を繋ぎとめたかつての行動とは逆に、自らC.C.の孤独の一部となることで、永遠を生きる選択をしてみせた。これは、もう、ほんまに、ほんまに、ほんまに、嬉しい。美しい。
美しすぎる。

細かいところで意味不明なところいっぱいあるし特にCの世界はなんでもありすぎて萎えるけどルルーシュ率いるテレビアニメ版のキャラたちの活躍、他に類を見ないゲームメイク、そして美しすぎるラストと観終わるころには不満の抱きようがない。いよいよもってして『亡国のアキト』シリーズがなんだったのか意味わからんくなっとるけどコードギアスの続編として大正解の映画だった。ありがとう、本当に。

たぶんギルフォードとかはギアスを解いてもらってるのにシュナイゼルだけ「こいつはギアス解かんほうがええか…」思われてごりごり操られてるままなのがおもろすぎる。
救済P

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