救済P

トラペジウムの救済Pのネタバレレビュー・内容・結末

トラペジウム(2024年製作の映画)
3.3

このレビューはネタバレを含みます

ちょっと暗いアイドルコンテンツの主人公の前日譚。

賛否あるアイドルアニメ。アイドルアニメというか、アイドルの始まりから終わりまでの時間の中で少女たちの選択と決断を描くことにフォーカスしている。そういう意味でややメタ的。しかし普通にあるアイドルがやんちゃしてたころの前日譚でしかないじゃんと言われるとそういう気もしてくる。

アイドル狂信者の主人公が徹底的に打算的にアイドルユニットを結成したことでアイドルに対する思い入れのないメンバーとの軋轢が生じたちいかなくなる話。普通アイドルアニメの曇らせというとアイドルに対する理想と現実のギャップに苦しみアイドルを続けることができなくなるものが多い、というか全部それだが、本作は主人公以外のメンバー3人にそもそもアイドルに対する理想が欠如しているという点で既存のアイドルコンテンツと趣を異にする。メジャーなアイドルコンテンツはどれだけ強大な曇らせがあろうとも、アイドルに対する羨望、つまるところ原初の体験を思い出し、そこに立ち返ることで折り合いをつけ、苦難に立ち向かうことができる。その結果、アイドルとして持続するか否かは別として、平穏を手にし、救われとする。本作はそもそもアイドルに対する理想が欠如しているので、立ち返るべき原初的体験が不在しており、曇らせに対する救われにアイドル以外の文脈が位置している。この構成をメジャーな「アイドルコンテンツ」によって形作られたフレームワークを使って解釈しようとすると、途端に極めて(通俗的な)アイドル的ではない作品としての評価が成立してしまい、賛否の立場を生む。

しかし、前述したように「前日譚」としてこの作品を見るとアイドル的だともいえる。高校生の時分に理想を押し付け軋轢が生じ一度解散を経験したが、やはりアイドルを諦められずに努力した結果いまでは人気アイドルとして成功している。こうみてみると極めてアイドル的だ。本作は確かに異端的ではあるが、異端の源流を探してみると案外、一人のアイドルの人生を想定した時に当たっているスポットライトの位置が違うだけなのではないかとも思う。

一切を了承した上で、正直言って面白くはない。そもそもなぜ今までこういったアイドルアニメが生まれていなかったかというと、面白くならないから誰も作ってなかっただけなんじゃないかと思う。そういった意味では、既存のアイドルコンテンツが紡いできた歴史を足場とすることで初めて成立するメタ・アイドル的な作品であるともいえる。

最終的に感動作としてのレールが舗装されていくがこれに強い違和感を感じた。非常に乱暴な言い方だが、一定の価値はあるがこれを感動として受け取ることには無理があるように感じた。でも隣に座ってた人がバカほど泣いてたから、単純に好みの差かもしれない。どのようなアイドル畑で育ってきたか、その差が本作の評価に直結するのではないかと思った。

キャラクターの動きは細かく丁寧で心情をうまく伝えることに成功していたように思う。全体的に背景や建物も美しかった。東の強犬っぷりにはネタにしたい面白さがあった。

以下、細かい点。

アイドルの始まりから終わりまでを描く必要がある以上ある程度仕方のないことだとは思うが4人が集まるシークエンスとアイドルとして活動するシークエンスの接続部、つまりアイドルデビューのシークエンスが適当すぎるように感じた。それはある程度意図されたものだと解しているが、アイドルデビューがここまで面白くならないアイドルアニメも珍しいと感じた。

全てのキャラクターに対してうっすらとした嫌悪感を抱いた。作品の性質上必然だが東は独善的で、南は場当たり的、西は利己的で北はもうちょっとはい。すみません、北は愛せそうにありません。

車椅子の女の子がアイドル衣装を東に渡すシーンはグロかった。しかし、これをグロいと感じるのも自分がそういうアイドル畑で育ってきたからだろう。だからこそ、4人がそれぞれの形で夢を叶えたことが、感動に直結しない。

確かにこれまでのアイドルアニメとは趣を異にし、メタ・アイドル的にアイドルの終わりを描いた新鮮なアニメではあった。しかしそれを面白いと感じるためにはこれまでのアイドルコンテンツによって形作られてきた受容体とは違う形の感性が求められるように感じた。東も言っているが、やっぱり、アイドルには、輝いていて欲しい。
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